自分自身の判断で信頼する
第17話で「信用」は、これまで積み上げてきた確かな実績の上にあり、客観的にも判断できる、という話しをしました。
一方で、似たような言葉で、同じ信じるという行為がある「信頼」はどういうものなのでしょう。
友人どうしやもちろんビジネスの世界でも相手を「信頼」したり、お互いに「信頼関係」を築くことは大切です。
「信頼」すると、「この人に任せよう」とか「この人の言うことを信じよう」などという気持ちが働きます。
なぜそのような気持ちになるのでしょうか。
相手とのこれまでのつきあいや日頃の行動、想像する相手の性格や能力、友人関係などから自分自身が判断して「信頼」します。
そして、「これからやること」をこの人に任せよう、とか「これから先」はこの人の言うことを信じよう、と決めます。
つまり、自分自身がこれから先に起きることについてこの人の言動に期待する、ということですから、もし期待した状況にならなかったとしても、それは相手のせいではなく、自己責任ということになります。
信頼関係
第17話の「信用」の例え話しで紹介した100回目に塩水を出してしまった場合でも「信頼関係」があれば、相手は私がたまたま間違えただけで、次はこれまでのように美味しい水を出してくれるだろうと、101回目に出した水を飲んでくれることでしょう。
「信頼」すると、一度くらいや多少の期待はずれがあっても、自分が信じた人のすることだからと許し、「信頼」は揺るぎません。
逆のケースで、相手から「信頼」されていることが分かっているのであれば、できるだけ相手からの期待に応えたいものですね。
「信頼関係」が崩れていく場合は、よほどの期待外れのことが起きたから、ということでしょう。
ただ一緒にいることが多いというだけの表面的なつきあいではなく、「この人なら」とか「この人のためなら」というお互いに心を許し合える友人どうしでいるためには「信頼関係」が不可欠です。
何が起きるかわからないこれから先も友人どうしとして助け合い、補い合い、励まし合い、笑い合いながら同じ時間を過ごしていけると期待できるのは、お互いを信じあう「信頼関係」がベースになります。
第1話で話した「人生とは」で、「人生」とは、与えられた時間を、「誰か」と、「何か」をして生きること、とするならば「素敵な人生とは」での「一緒にいたい人」というのは「信頼できる人」であることが第一条件になるでしょう。
「信頼関係」があればお互いの立場になって考えることができ、お互いの言動がより深く理解でき、疑いや不安な気持ち、攻撃的になることもなく心が穏やかな状態でいることができ、「自分」が好きな「自分」でいられるので一緒にいる時間に安心感があります。
「信頼関係」は相手に求めるものではなく、お互いがお互いの期待に応えようとする気持ちで築き上げ、維持していくものです。
そんな素敵な関係でいられる「親友」は人生の宝物ですから、失わないようにしたいものです。
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