車窓からの景色
電車などに乗っていて窓の外を見ると、線路わきの景色が次から次へと変わっていきます。
大きな山が見えたり、海が見えたり、街並みや田んぼが見えたりで景色の変化を見ることも電車などの乗り物に乗る楽しみの一つですね。
車窓からの景色は次から次へと変わっていきますが、電車に乗っている自分や車内の様子の変化には気がつきにくいです。
駅に着くたびに、同じ電車に乗ってくる人、降りる人がいて、さっきまで隣りに座っていた人も変わっているかも知れません。
自分は窓の外を見ていただけなので、自分自身は何も変わっていないと感じているかも知れませんが、確実なのは、電車に乗った場所からは移動しているということと、乗っていた時間、何もしないで過ごした時間は過ぎてしまった、ということ。
同じような移動手段を使えば、元の「場所」には戻ることはできるでしょうが、戻った時の自分は、そこを離れた時の自分ではなく、その場所も以前からは状況が変わっているでしょう。
外の変化と中の変化
同じように、とびらや窓を閉め切った部屋のなかでスマホやパソコンに流れてくるニュースなどの出来事を実感なく知っていても、時が流れるように、さまざまに起きる出来事などによって自分自身にも何かの変化が起きていることに気がつかなければいけません。
車窓からの景色のように、スマホなどにはさまざまな風聞が入ってきます。
昨日も、一昨日もそれらを見て、大小さまざまな思いや感情が起こり、それらが記憶されているので、もう三日前の自分に戻ることはできません。
年齢だって、突然に50歳、60歳、70歳になるわけではなく、毎年毎年、いや毎月、いや毎日、日々年齢を重ねていくわけです。
肉体的にはもちろん、日々の経験や学習によって価値観や考え方、生き方でさえ変化をしています。
年齢などは日々の変化は小さくて気がつきにくいですが、世の中は事件や災害などによって突然に大きく変化することもあり、それらを経験したり、知ったりすることで自分自身も大きな影響を受けて変化することがあります。
気がつきにくい小さな変化から、驚くような大きな変化もありますが、世の中も自分自身も日々変化していることは間違いありません。
自然に起きる変化や避けられない変化だけでなく、これまでの自分を変えるために、新しいことを始めたり、続けていたことをやめたり、変えたりして自らが新しい自分を作るなど「意図的に」変化を起こすこともあります。
社会人であれば「転職」やリスキリング目的でさまざまな教育機関・施設に通ったり、またトレーニングやダイエットに挑戦するなど、自らの意志と力で変化を起こし、誰もやってくれないので自分自身をデザインするという感覚で、新しい状況を作って対応する、などです。
変化への対応
過ぎてしまった時間は戻すことはできないので、日々の変化に対応していかなければなりません。
ダーウィンの進化論ではありませんが、状況変化に対応できたものだけが生き残ることができ(ある意味当たり前)、それが進化かどうかは別問題ではありますが、自然現象も、科学の進歩も、政治・経済についてもいつまでも同じことが続く状況などというのはありえないことなので、まず自分自身を取り巻く状況を正しく分析して、理解しておくことが大切です。
逆に、いまは大変だ、と感じている育児なども長くて数年間のことなので、むしろ楽しんで思い出にしたらどうでしょうか。
「変化」が、「進化」とまでいかなくてもせめて「退化」とならないように、状況の変化を意識し、どう改善して、どう対応して生き方を変えているかです。
心がけていなければならないのは、「変えなければならないものを変える勇気、変えてはならないものを守っていく信念、そしてそれらを見極める知性」を持ち続けることです。
多くの人は、「時間の経過」と「社会環境の変化」を合わせた「時代」に流されています。
「時代」の行き先は誰にも分かりませんが、とりあえず自分の身の周りの状況から流れに竿をさして、自分の望む場所にたどり着こうとしている人もいれば、なすすべなく時代に流されて行き当たりばったりの人もいます。
車窓からの景色の変化を、気分転換として楽しむことも大切なことですが、これから目指す場所へ、少なくてもさっきまでいた場所と違っているところへ向かっているという認識に加えて、もう元には戻れないということも意識の片隅で感じていたら、ボーッと見ている景色も少し違って見えるかも知れません。
同じように、ヤフー・ニュースも。
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