「頑張る」の語源
「頑張る」という言葉をよく言ったり、聞いたりします。
また、自分以外の人に「頑張れ」と励ましたりもします。
この「頑張る」の語源には、二通りの説があって、ひとつは「目をつける」や「見張る」の意味から「眼張る(がんはる)」となり、「一定の場所から動かない」という意味から、さらに努力してやり通す意味での「がんばる」になったとする説です。
もうひとつは、自分の考えを押し通すという意味で使われる「がんばる」ですが、これは「我を張る(がをはる)」から転じた、とする説です。
いまの「頑張る」は、頑(かたく)なに、(気持ちを)張る、ということなので、緊張感を伴った精神状態のもとで、努力をすることでしょうか。
「頑張る」は、英語でいうと「Do my best」、「頑張れ」は「Go for it !」とのことです。
「頑張る」はプロセス(過程)
最近,この「頑張る」に対する認識が揺らいでいて、あまりいい言葉ではないという解釈も生まれていますが、誰かに強制されるのではなく、自らが「精一杯努力をする」、「やれるだけのことはやる」、「最善(ベスト)を尽くす」ことと「頑張る」が同じ姿勢であるならば、いい認識も、悪い解釈もなく、これらの違いが分からず、何かをやるにあたって、これらの姿勢は当たり前のように思えます。
そうやって何かを成し遂げた時に、自分の成長を感じることができたら喜びを覚えるでしょう。
スポーツの試合や大会、試験、ステージなどでの本番で、培ってきた力や技を100%発揮して、望む結果を目指すため、それまでに自分の最高の状態を作りあげ、当日に最高のパフォーマンスを発揮する、とここまでが「頑張る」で、あとはその結果だけということになります。
また、特別ではなく、日々同じような仕事をしている人たちも、その日その日のベストパフォーマンスを発揮できるように精進しています。
望む結果を得ることができなかったから努力が無駄になったとか、がんばっても思い通りにならなかったから損をしたとか、一生懸命にやっても何も変わらないのでやらなくても同じだった、ということになるはずがありません。
頑張れば、目指す目標が必ず達成できる、望む状況が必ず実現する、ということにはならなくても、努力した、という実績は必ず残るので、その分だけ自分は成長したことにはなります。
自分に具体的な目標や課題を設定すれば、その実現や解決に向けて最善の努力をしますから、頑張りたくても頑張れない人は、自分に対して目標や課題を持つことが先ですね。
何か目標があって、それの実現に向けて、その準備のために持てる力を発揮して、一生懸命に努力する、または力をつける、ということでしょうから、「頑張る」ためには、何か目標がなければ頑張れませんね。
勉強も同じで、いま一生懸命に理解して、記憶しようとしている内容を、いつか、何かの場面で活用している自分の姿が想像できないと、一生懸命に、寝る時間や遊ぶ時間を削ってまで机にかじりついている気にはなりにくいですね。
勉強を頑張るには、将来の自分が何をしているかのイメージがあると励みになりますね。
日本人ですから、日本語として漢字が読めて、書けて、文章が理解できる、という素養は身につけておいても無駄になることはないでしょう。
英語も、こんな時代ですから、将来どんな職業に就くにしても、英語を避けて通ることは難しいと思われるので、できる限り身につけておきたいですね。
地理や歴史は一般教養としても、レベルが高い数学などは特殊な科目になるかも知れませんね。
勉強が苦手だ、と思っている人でも、将来好きなことをやるのに、知っておけばより深く、高度なレベルまで行くことができることが分れば、それに関することは勉強していくでしょう。
一般教養を身につける、という意味合いの勉強もあるとは思いますが、やはり頑張って学んだことはいつか活用したいですよね。
「頑張る」と楽しい
自分の成長を楽しみに頑張るというのもありますが、成長した姿や望む結果を得たことを見せて、これまで協力、応援してくれた人を喜ばせたいから頑張る、というのもありますね。
頑張っていると、もしかして周りの人も応援をしてくれたり、頑張る姿を見て楽しい気持ちになる人もいるかも知れません。
私は、一生懸命に頑張っている人が好きで、応援したくなりますが、その逆の怠け者は、対応の仕方が分からないので苦手です。
私の考える限り、自発的に頑張れば自分も楽しいし、周りも喜ぶなどいいことだらけだと思うので、何でもいいから頑張ればいいと思うのですが、まずは目指す状況を計画する必要がありますね。
親しい人が、つまらなそうに、怠けている姿を見るのはあまり気持ちのいいものではありません。
コメント