第68話 父親らしさ

考え方が変われば生き方も変わります
悩むことで心を傷つけるより、頭を使って考え、違う生き方を試してみませんか

私と息子の違い

私には娘と息子、二人の子どもがいます。

子どもといってもそれぞれが子ども(私にとっては孫)がいますが、とくに息子の、子どもに対する接し方が気になっています。

というのは、私が彼に接してきたやり方とまったく違うからです。

もちろん、当時といまとではいわゆる「時代」が違うし、「時代」が違えば当時の私の仕事に対する取り組み方と、いまの息子の取り組み方では違うし、時間の使い方も違います。

そればかりが原因ではないと思いますが、その違いから「父親らしさ」って何だろうと考えました。

「父親らしさ」は、もちろん子どもにとっての感じ方で、父親が子どもに与えるもの、見せるものだと思うのですが、父親が子どもに感じて欲しいと思って行う振る舞いと、それを子どもがどう感じるかはおそらく一致しないでしょう。

父親として

「父親らしさ」の前にまずは「父親としての義務」を果たさなければなりません。「父親としての義務」は、カタチとしては「保護」「扶養」「教育」などがあげられますが、その方法については、家庭環境の違いなどもあってまさに人それぞれでしょう。

子どもを育てる状況は、現在の家庭環境だけでなく、「厳しく育てられてきた」、「甘やかされて育てられてきた」、「放っておかれて育てられてきた」など、自分が父親から受けた育てられ方の影響も大きいでしょう。

また、子どもが大人に成長する過程でさまざまな経験を積み、学習したりで、学んだ事柄を土台としたやり方で、子どもにとってよかれと思いながら接していくので、父親としては必要なコミュニケーションをとり、見守りながら経験の場を与えていくというのも大切なことでしょう。

一般的に、父親が子どもに勉強をしろと強く言うのは、自分が勉強をして、いい大学に入り、いい会社に就職ができて、いまはいい生活を送れているので子どもにも見習うように求めるケースと、自分は学生時代に勉強をしてこなかったために、いい大学にも入れず、そのせいもあっていい会社に就職もできずに、いまは苦労しているので、子どもにはそうなって欲しくないから、というケースのどちらかが多いのではないでしょうか。

父親が子どもに対しては、おもにはそのいずれかの理由から、自分のようになれ、とか自分のようになるな、ということで子どもに勉強をするように求めますが、もしかするとそのいずれの状況も、子どもにとってはまだ先のことだし、父親の実感も子どもが想像することが難しいことなどから、子どもには理解ができないかも知れません。

子どもに勉強をさせたいのであれば、勉強することに興味を持たせ、物事を理解していく楽しさを教えることのほうが効果的かも知れませんね。

子どもは見ている

子どもは、父親が大変な思いをして勉強をしてきたことや遊びほうけていたことを知らなくて、知っているのはいまの父親像なので、いま楽をしている父親か、いま苦労をしている父親かを見て、いろいろ感じるのでしょうね。

子どもが知っている一番身近な大人は親なので、将来子どもが親になった時には見て来た大人の姿として親のマネ、もしくは似たような振る舞いをしてしまうのは当然なことかも知れません。

仮に、いま苦労をしている父親の姿を見て、その原因に思いや考えがいくという子どもはおそらく少なくて、苦労に対応している姿が子どもに影響を与えるのではないかと思います。

逆に、いま楽をしている父親の姿を見て、同じようにその原因に思いや考えがいくという子どもは少なくて、楽をしている姿が子どもにさまざまな影響を与えるでしょう。

親が子どもに願うことは、健康で、なんでも一生懸命に取り組んで、ウソをつかず、まじめに、周りの人たちと仲良く、自分の望むような人生を送って欲しい、ということではないでしょうか。

父親らしさ

子どもがそのように育つための、模範となるような「父親らしさ」とはどのような振る舞いなのでしょう。

息子にとって私が「父親」であることは間違いないことですが、それに「らしさ」をつけた言葉の意味は、父親としての責任を果たして育て上げ、人生の先輩として模範となるような生き方をしていかなくてはならない、ということでしょうか。

私は父親の影響を受けていると思いますが、私の父親の私に対する思いが理解できたのは、一般的に言われているように、自分に子どもができ、自分が父親という立場になってからでしたが、父親が過ごしてきた人生は、戦争や戦後の混乱、苦労などを経験しているわけですから、私よりも生きることに必死だったのではないか、という状況は想像できても、私には思いやることすらもできませんし、私にどのように成長して欲しかったかというのも聞いたことがなかったので分かりませんが、父親が子どもに対して抱く感情、愛情というものを自分が父親になってはじめて理解できた、ということです。

私は、自分の子育てがうまくいった、とはまったく思っていなくて、むしろ反省ばかりです。

子どもが成長する一番大切な時期に、おそらく日本中がそうだったように思いますが、とにかく仕事、仕事、会社、会社で、ほとんど家にいる時間はなく、連日深夜残業で、休みは一年に数日、それも冠婚葬祭などなにか用事があってのことなので、家族と一緒に過ごすためではなかったため、少しおおげさに言うと、子どもの幼児時代、幼稚園、小学校、中学校時代をほとんど記憶にありません。

子どもにも申し訳なかったと思う反面、人生の一番楽しい時期だったかも知れない子育ての時期に子育ての記憶がない、という無念さや後悔があります。

ところが、いまの息子の姿を見ていると、もちろん仕事はきちんと一生懸命にやってはいるのでしょうが、休みは取れていて、子どもたちや家族で過ごす時間があり、子どもたちへの接し方も、私がやってきたやり方とはまったく違って、優しくて、余裕があるような気がします。

もしかしたら息子は、私を反面教師としたのかも知れません。

結果としては特に問題はないのですが、私は息子にとってどのような存在だったのかと思っています。

少なくても、息子に抱いて欲しかった父親像ではなかったことは確かです。

「父親らしさ」とは、目標とさせたり、子どもに求めるのではなく、子どものために、子どもと一緒に一生懸命に生きるということで、そして子どもから感謝の言葉を聞くことができたら合格、ということでしょう。

感謝の言葉、私はまだ聞けずにいます。

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