第91話 記憶と思い出

考え方が変われば生き方も変わります
悩むことで心を傷つけるより、頭を使って考え、違う生き方を試してみませんか

昔のこと

昔や過去のあるできごと、ものごとを忘れずに覚えていることを記憶とか思い出とか言いますね。

どちらも一般的には、過去に勉強して覚えた言葉や人名、地名、歴史、理論・理屈などや過去に見たり、聞いたり、感じたりしたできごとや経験などを、脳をコンピュータに例えると、脳に記録、保存することですが、記憶と思い出とを何を基準に、どう区別しているのでしょうか。

記憶と思い出の違いやその基準となるものをあえて、明確に定義したり、決めつける必要もなく、そもそもそれぞれを分けて覚えていることもないので、問題はその内容がいまの自分にとってどのようなものになっているか、のほうが大切だとは思いますが、日常生活のなかでどのように使い分けているのだろうか、という好奇心レベルで考えてみたいと思います。

記憶

記憶というと、おもには過去に勉強したり他人(ひと)に教わったりした、今では知識として役立てている情報のようなもので、基本的には事実であったり、客観的であったりするものの、自分とは直接的には関わらないもので、言葉や地名、理論・理屈などそれ自体に自分の体験を伴わないので、覚えにくいし、また思い出すのに手がかりがないために、頻繁に使わないと忘れたと同じ状態になりやすいものというイメージがあります。

授業で習った教科書に載っている人名や年号、地図に描いてある地名などは覚えにくく、思い出しにくいです。

実際に行ったことがある都市名や、お会いして影響を受けた方のお名前は、できごととともに記憶され、思い出しやすいです。

英語の勉強などはその典型的な例で、せっかく単語や文法を覚えたのに、社会人になってからも、ふだんなかなか使うことがないので、そのうちに記憶が薄れ、いざとなってもまったく使うことができない状態になっていることが多いですね。

歴史も地理も科学も社会人になってからは、頻繁に会話などに出てくることはないし、数学だって考え方などに活用することはあっても、公式などを日常生活で直接使うことはないですね。

思い出

一方思い出というと、おもには過去に自らが体験して覚えているできごとやことがらなどが思い浮かびます。

体験ですから、当時の感情を伴っています。

楽しかった、おもしろかった、おいしかった、悲しかった、怖かった、などの感情の思い出とともに、当時の時代も思い出します。

子ども時代、少年・少女時代、学生時代、青春時代、新入社員時代、などの時代を思い出します。

あの頃は、幸せだった、素敵だった、つらかった、頑張っていた、のように当時の気持ちとともに一緒に過ごした友達や仲間の顔や名前、さまざまなできごとも思い出します。

思い出は、できごととともにできたり、作ったりして脳に刻まれ、あとになってなつかしい思い出となったり、苦い思い出、遠い昔の思い出、青春時代の思い出として呼び起こされます。

このブログの「第26話 忘れることは難しい」でも書きましたが 忘れたと思っていても何かのきっかけがあれば思い出す、ということは忘れたのではなくて、そのことが記憶や思い出の層の奥の方、下の方にあって、いつも思い出すわけではないので、思い出す手掛かりがないだけ、ということで、忘れてしまったわけではなく、一度記憶したり、思い出となったものを忘れるというのは難しいのだと思います。

思い出す

記憶や思い出を、コンピュータに例えるとデータの再生のように思い出したり、思い出す必要がある時がありますが、思い出す手掛かりは、他人(ひと)から教えてもらったり、関連したり近い意味の言葉を見たり、聞いたりしたりすることなどが多いですね。

思い出が比較的思い出しやすいのは、自分の体験なので脳に鮮明に記録されているためだったリ、感情や体験した時期も明確で一緒に過ごした友人などや記録の内容にストーリー性があり、単なる言葉だけではないなど、思い出すのに手がかりが多いためだからではないでしょうか。

また、友人との会話などで話題になるなど、思い出す機会が多いことも理由でしょう。

友人たちと当時のできごとをなつかしく思い出しながら談笑しながら過ごす時間は楽しいですよね。

いやなことをいつまでも気にしていることもつらいので、思い出さないようにできたらいいし、また、楽しかった思い出も、たまに思い出すからいいのであって、それにこだわっているのも、それはそれで少し寂しいものもありますね。

おそらく人間は、自分の心の状態を守るために、いやなことはなるべく思い出さないように、記憶のできるだけ奥の方にしまおうとするのではないでしょうか。

時間が経って、楽しいことがたくさんできて、それらの思い出や記憶が重なっていき、いやなことはその下に埋もれていって、思い出しにくくしているのではないでしょうか。

いやな記憶は、思い出しにくいように記憶の奥の方に追いやって、出てこなくなるように楽しい思い出などをたくさん積み上げることですね。

過去に勉強したり経験したり体得したり反省して得た知識、見識、知恵などを活用していまをじょうずに生きて、できるだけいい思い出がたくさんできるといいですね。

人間の脳の機能を、大きく「記憶する」ことと「創作する」ことの2つに分けたとすると、私の脳の機能の比率は実感としておそらく、「記憶すること」3、「創作すること」7くらいの比率ではないかと思うくらい、「記憶すること」が苦手です。

それでも、当時直面した問題や課題に対する対処方法や解決方法、手順などもできごとなどとともに記憶され、経験として知識になって蓄えられ、それがいまの生活に役立っていて、似たような問題や課題を解決する場合に、同じ過ちを繰り返さないための知恵になっています。

これまで生きてきて、たくさんの人たちと出会い、一緒にいろいろなことを経験してきたのでたくさんの思い出があり、それぞれを鮮明に覚えていて、それらを経験にしてさまざまなことを思い出にしたり記憶してきましたが、それらはほかの人には分からないことなので、またその量や質は他人(ひと)に語ったり、自慢したりすることではないので、それらを日頃の生活に生かすことで,自分の身を守ったり、誰かの役に立てばいい、と思っています。

いまの生活に役立っているのは、思い出のなかの経験とより実践的な記憶かも知れません。

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