第107話 家族と家庭

考え方が変われば生き方も変わります
悩むことで心を傷つけるより、頭を使って考え、違う生き方を試してみませんか

家族、家庭とは

家族と家庭という言葉があります。

人はそれぞれの家庭で家族の一人として生まれ、家庭の中で家族に囲まれて生きていきます。

「家族」は、親子、きょうだいといった血縁関係のある自然血族といわれる人たちと、夫婦のような婚姻関係や養子縁組のような法定血族といわれる関係の人たちによる、人どうしの社会のなかで最も基礎的な集団で、社会の最小生活単位とされる人間関係のことになります。

「家族」といってもそれぞれ年齢が違っていたり、容姿や体形が似ていることはあっても全く同じということはなく、考え方や趣味に至ってはそれぞれが独立したものがあって、それでも一緒に生活することが多いことから生活共同体として社会の最小単位とされているのでしょう。

自然血族といわれる関係は、この世の中に生を受けた瞬間から生まれる絶対的な関係で、断つことも避けることもやり直すこともできず、不都合な事情が起きた場合には付き合い方を工夫するしかないので、面倒なことにならないためにはお互いの向き合い方への配慮や場合によっては我慢も必要かも知れません。

また、たとえ離れて、別々に生活をしていても「家族」という関係に変わりはありません。

「家族」がお互いに愛すべき存在でいることは、お互いの心に安定と安らぎ、幸福感さえ生まれます。

「家庭」は、そのような「家族」が一緒に生活する「場所」のことです。

「家族」の生活の場ですから、それぞれの生活を通じていろいろなできごとが起こるし、「家族」全員の望みや願いとともにそれぞれの望みや願いも生まれ、お互いが協力し合ってその実現に努力をするとともに、それらの阻害要因についても全員で協力し合って解決や対応をしていきます。

「家庭」のなかには人間だけでなくペットや植物なども一緒に寝食をはじめ生きていきながら成長するなどして生活をしますので、みんなでお互いに刺激し合って学び、学習し、経験を積んでいくという教育や育成のプロセスを経て、心身ともに成長や変化をしていく「場」にもなっています。

「家庭」のなかで、円滑な関係を続けていくために不可欠なものが「愛情」です。

夫婦の愛情、親子の愛情、兄弟・姉妹の愛情、ペットや植物への愛情など、さまざまな愛情を受けるだけでなく、与えながら交換し合うのが「家庭」です。

家族の役割、家庭の役割

「家族」として、親と子、夫と妻、兄と弟などの関係があります。

親として子を見る関係と子として親を見る関係、夫として妻を見る関係と妻として夫を見る関係、兄として弟を見る関係と弟として兄を見る関係などお互いがお互いの関係があって、それをベースにした振る舞いがあり、さらにお互いがそれを感じたり評価したりします。

それらのお互いの振る舞いをあえて役割というならば、自分が果たそうとする役割と相手が期待する役割がありますが、そんなさまざまな役割があるのは当然として、それらはそれぞれの生活環境や育ってきた経験などをベースにした主観的、感情的な要素が多く、またその思いは日々変化するものなので、それらの一つ一つを具体的にここで語るのは難しいです。

私は「家族」のなかでは、両親から見れば子どもで、妻に対しては夫で、子どもたちにとっては親で、きょうだいとしては兄という立場ですが、それぞれに対してそれぞれが求める、期待している役割や責任を自覚していて、それらを果たせるように努めているものの、それには「家族」の協力が必要で、支援や援助という協力のほかにお互いが健康でいたり、心の安らぎが得られるような環境づくりなども不可欠です。

そのように「家族」が協力し合って生活をしていく場が「家庭」の役割でしょう。

「家庭」がその役割を果たすためには、「家庭」は生活の場ですから、自分や家族が寝たり、食べたりする場所が必要です。

物理的な建物としては「家」ということになりますが、形態は戸建て住宅、集合住宅や共同住宅の一室などがあって、それも持ち家や賃貸、親の家の間借りなどさまざまです。

「家庭」は「家」のなかにあって、自分や家族が一緒に生活をする空間、場所です。

理由があって一人で生活している場合には、「家」や「部屋」のなかに「家庭」はないことになります。

「家」には寝食の場所のほかに風呂やトイレも必要でしょう。できたらくつろぐ場所があるとよくて、なによりも自分や家族の成長に合わせて、それらすべてを備えた「家」に居ることができれば、やりたいことややらなければならないことに専念できますね。

最近では、「家」で仕事をするケースもあるので、仕事場としての役割を果たせる場所も必要かもしれませんね。

家族の変化、家庭の変化

昔のような大家族だった時代ほどでなくても、少し前まではきょうだいが二人や3人という家族は周りにも多くいましたが、最近では一人っ子や子どもがいない夫婦などもめずらしくなく、「家族」の構成人数が減少傾向にあります。

きょうだいの数が少なくなれば世の中の人口が減少していくのは当然ですが、「家族」の関係や役割も変化していくことになり、また「家庭」の役割も変わっていきます。

ひと昔の「家族」はきょうだいも多く、両親や祖父母も一緒に暮らしているケースも多くみられ、食事時などもにぎやかで、それぞれが生活する場所が必要だったので、「家」もそれなりの規模が求められましたが、最近では核家族といわれるように両親と子どもだけで生活し、子どももきょうだいが少なくなってきているので、「家」に求められる要件も変化してきました。

要件とは、家の部屋数など規模だけでなく、生活をするのに必要な用具や道具などを伴う生活スタイルの変化を満たすものの比重も高まってきています。

一般的には、「家族」は朝になれば外出をしたり、たとえ「家」にいてもそれぞれの生活や活動をして、食事や寝るために「家」に戻ってきて、集まったりします。

そこでリラックスをしたり気分転換などをして、次の日のために心や身体を整えます。

自分や家族それぞれが快適に時間を過ごせる場所、「居場所」が「家」にあれば心が穏やかでいることができるので、「家庭」のなかで「居場所」が果たす役割は大きいですね。

「居場所」についてはこのブログの『第76話「居場所」』で書きました。

「家族」は必ずいるので、「家族」とどう向き合うかが自分にとっての課題で、「家庭」は作ることができるので、どのような「家庭」を家族と一緒に作っていくかが課題になりますね。

「家族」の役割と自分の役割、「家庭」の役割とその中で果たす自分の役割を意識し、その実現を目指すことが仕事や勉強にも大きな効果になっていくのでしょうね。

大家族だった時代と核家族といわれる少人数で暮らすいまと、どちらが大変なのかは単純に比較はできませんが、大家族時代にいまの私が、いま思っている役割を果たすことは、いまでさえ十分に果たしているわけではないので、さらに難しいのではないかと思います。

羽澤 幸成

学生時代の県人会幹事長として、のちに大活躍される国会、県会、市会の議員の方や役所の方、趣味の音楽活動を通じて芸能の世界で生きている方など多くの人たちに接し、社会人になってから海外進出など多くのプロジェクトを軌道に乗せ、その分野の専門の方たちとも知り合い、いくつかの新しいことにもチャレンジして、早期退職後の企業信用調査の仕事では、それまでの大きな会社の人たちとは違う中小企業や個人事業の方たちとお会いし、いまは地域コミュニティ活動を通じて地域の方たちと交流活動をしています。
それらのキャリアを通じて、たくさんの経験をし、外国の方も含め多くの人たちに出会い、楽しいことばかりでなく、いやな思いもたびたびして、いろいろなことを学びました。
それぞれの世界で、多くの人たちが作る人間模様のなかで、うまくいっている人やそうでない人もいて、能力以外に考え方が違うのだ、と感じました。
人それぞれ考え方が違うので、当然に生き方も異なり、一緒に仕事や生活をしながら、なぜ、そうするのかを考えることの繰り返しで対応しながらも、自分の信念は曲げずに生きてきたので、心を痛めて悩んでいる人に、こうは考えられないかな、と頭を使って苦境を打開するキッカケになってくれればと思っています。

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