「苦労」の中身
親しい人との会話で、「苦労しているよ」とか「苦労させられているよ」とか「苦労をしているね」というような言葉をよく耳にしますね。
一言で「苦労」と言っても、「苦労」には対人関係、金銭問題、仕事関連、家族問題などきっかけや原因がいろいろとあるでしょうから、さまざまな状況や程度がありますね。
「苦労」は、肉体的だけでなく精神的にも使われる言葉で、「気苦労」「取り越し苦労」「苦労人」「苦労をかける」「苦労が絶えない」「苦労の種」「ご苦労さま」「苦労を共にする」「一苦労」などの表現があります。
言葉の意味としては、「仕事、生活、心配ごとなどのために肉体や精神を使って、疲れたり、苦しい思いをしたりすること」や「精神的、肉体的に力を尽くし、苦しい思いをすること」ということになります。
つまり、問題解決のために精神的、肉体的に力を尽くしても、それを苦しいと思わなければ「苦労」ではないのですね。
若い時の苦労
昔から「若い時の苦労は買ってでもせよ」などともいい、「若いときは楽な方に立ち回ってばかりおらず、困難な事であってもそちらを敢えて選択し、苦労を経験しなさい」とか、「若い時にする苦労は必ず貴重な経験となって将来役立つものだから、求めてでもするほうがよい」、という意味のことわざとして知られています。
若い時であれば、体力もあり、頭脳も柔軟で対応力もあり、ある程度我慢もできるということで、若いうちならば買ってまでするほど「苦労」というものは価値がある、ということでしょうが、できれば避けて、楽に生きたいというのが本音としても、ポイントとなるのは、大変だ、とか忙しい、とかがそのまま「苦労」になるわけではなく、その状況を生きがいと感じる、とか楽しい、という人もいるくらいですから、結局は、個人個人の才能・能力、性格によって違う感じ方のようですね。
人によって違う「苦労」
また、同じような仕事をしていても、難なく終える人もいれば、はたから見て苦労しているように見える人もいます。
周りの人が、「あの人は苦労をしている」と想像しても、本人は苦労をしているとは思っていないかも知れません。
逆に、「私は苦労をしている」と周りに言っても、周りからはその程度のことで、と思われているかも知れませんが、本人が「苦労をしている」と言っているのですから、本人にとっては苦労なのでしょう。
「苦労している状態」「苦労していると思っている状況」は、楽しい気分ではなく、「いやで、いやで仕方がなく、何とかして早く逃れたい、状況を変えたい」気分でしょう。
ところが、同じような状況にいても、「自分はいま試練の場にいる。何とか工夫してこの状況を乗り切り、その結果を経験にすれば自分はさらに今後の可能性を広げることになる」と前向きにとらえて問題解決にあたる人もいます。
そのような人は、置かれている状況を「苦労」とは思っていないでしょう。
むしろ自分が成長する機会ととらえて、そのような状況を楽しんでさえいるかも知れません。
問題解決のために努力することを、なぜそんなことをしなければならないのか、と疑問に思っている人はその状況を「苦労」と感じ、よし、自分や他人(ひと)のためにベストを尽くして問題を解決してみよう、とチャレンジ精神で臨む人はむしろ成長の機会ととらえるかも知れません。
どちらにしても頑張らなければならない状況に変わりはないのですが、「苦労」と感じるか「成長の機会」ととらえるかは、全体的な「ヤル気」という個人の性格的なものも影響すると思いますが、それとの関連で状況への納得性、主体性があるか、ないかの問題にもなるでしょう。
「苦労」と「能力」
また、個人の能力、問題解決能力の高低もあるでしょう。
能力が高く、経験豊かで問題解決能力も備わっている人にとっては難なくクリアできる問題であっても、能力のない人にとっては、ハードルが高いケースもあります。
それなので、「苦労をしている」と他人(ひと)に言う場合には注意をしないと、「自分は能力がありません」と自白している、ととらえられてしまうかも知れないので、あまり自分から「苦労をしている」と言わないようにし、逆に、他人(ひと)から「苦労しているようだね」と言われたら「試練ですよ」と言い返せるくらいでないと、その状況を乗り越えることは難しいかも知れませんね。
また、大変な思い=苦労だけして終わるのもシャクですから、せっかくの努力を経験や知識に変えて、次の事態に備えられるくらいの収穫は残したいですね。
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