第90話 脳は怠(なま)け者

考え方が変われば生き方も変わります
悩むことで心を傷つけるより、頭を使って考え、違う生き方を試してみませんか

脳の働き

「脳」は、私たちが生きていく上で必要な、考えたり、判断したり、五感としてさまざまなことを感じたり、記憶したり、身体を動かしたり運動したり、好奇心を起こしたり、状況によって対応する感情を作ったり、さらにはいろいろなことを創造したり、他人(ひと)との付き合いなどでの振る舞いをコントロールしたりと大切な役割を果たしていて、それぞれの働きの程度を能力とすると、個性が形成されることになります。

個性を左右する脳の働きは、もちろん子どもの頃から比べると成長をしているし、さらにはコンデションとしては、昨日とでさえまったく同じということはなく、さまざまな刺激を受けて日々変化、成長し、またある時期を越えると衰えてもいきます。

以前、NHKで観たのですが、人間は10歳以上になると、脳は脳神経の結合を止めて成長にブレーキをかけ、必要以上に脳が活発にならないようにして老化を遅らせるという自己防衛をするとのことです。しかし、その状態でも楽器を演奏すると聴覚や運動細胞などが活発になるというミエリン化で脳は成長をし続けるらしいです。ボケ防止に楽器を演奏するというのは効果があるのですね。

そんな大切な臓器である脳ですから、脳自身や宿っている人体に対して生命維持のための自己防衛機能も備わっています。

自己防衛機能

脳は、頭がい骨という固い骨で覆われていて、ヘルメットのように外部からの外傷や強い衝撃などから守られていますが、それだけでなく、ストレスなど心が傷つくことを予感して避けたり、いろいろな策を講じて逃れたりします。

そして、脳が機能を維持したり、活発に活動するために栄養となるブドウ糖を摂取するように働きかけますが、ブドウ糖、つまり甘いものを食べさせるようにするので、この指示が強かったり、過剰になったりすると肥満やさまざまな病気の原因にもなったりしますので、身体がどうなっても脳自身の栄養を優先するという脳の自己防衛機能もバランスや節度が必要ですね。

また、脳の働きがフル活動しなければならないような状況では、脳に相当な負担がかかってしまうことになるので、それを自己防衛機能として避けるために、働き過ぎだから少し休んだらどうか、とか運動し過ぎると、もうこの辺りでやめておけ、とか膝が痛いんじゃないの、などという指示を作り出したりします。

もちろん、みんながみんな、という訳ではなく、それぞれ個人の性格にもよるとは思いますが、つまり、脳はなまけ者なのですね。

脳はなまけ者

脳はあまり働くのが好きではないようで、なるべくエネルギーを使わないように、なるべくエネルギーが貯められるような思考を好むようで、できるだけ楽をしようとしたり、やりたくないことは昔それが理由でできなかったこと、たとえばお腹が痛かったり、膝が痛かったりしたことを思い出させてやらなくて済むようにしたり、エネルギーを吸収するために甘いものやおいしいものを食べたくなるように仕向けたりするような気がしています。

そのような傾向の強い脳にコントロールされている人は、周りからなまけ者とか食いしん坊などという評価を受けてしまいます。

また、仕方なくやらなければならない状況でも、脳自身があまり働かなくて済むように、考えることがなく、これまでやってきた「慣れ」でコナせる行動をとるように仕向けたり、冒険や危険な行動を避けるように活動の範囲を狭くしようとするのではないでしょうか。

それに立ち向かうのは意志です。やらなければならない状況になった場合や難しいこと、新しいことにチャレンジするためには、絶対にやり遂げるという強い意志がなまけ者の脳を働かせ、持っている知恵や能力を引き出させます。

なまけようとする傾向が強い脳を持っている人が活躍したり、頑張ったりするためにはそれに打ち勝つだけの強い、持続力のある意志が必要になります。

行動の指示はどこから

食べたり寝たり、勉強したり働いたり、運動したり休んだり、好きになったり嫌いになったり、などの行動の指示やシグナルはどこから出ているのでしょうか。

私は人間の行動は、「脳」と「ココロ」と「内臓(細胞)」からの指示やシグナルに基づくのでは、と思っていて、本能でさえ、それぞれらから沸き起こるもので種類が分かれると思っています。

いま自分が置かれている状況を感じたり、理解して、その対応にしなければならないことやした方がいいこと、したいことやしたくないことの選択肢を考え、そのなかから適切な方法を選んで行動すると思っています。

「脳」の作用についてはここまで話してきましたので、「ココロ」と「内臓(細胞)」からの指示とシグナルです。

「ココロ」はさらに「感情」と「意志」、そして「魂」で構成されていると思っています。「感情」は好きとか嫌いとかに代表されますが、「魂」は熱意、活力、ヤル気など「感情」とは異なるもの、エネルギーとなるようなもので、「脳」からの指示やシグナルに対して実際に行動する時の決断となるもので、必ずしも「脳」からの指示やシグナルどおりではないこともあります。

「内臓(細胞)」からの指示やシグナルは、「脳」や「ココロ」が考える以前のもので、痛いとか発熱だとかの苦痛や何かの異常を、「脳」をはじめ身体全体の機能に伝え、適切な行動をとるように促すもので、緊急性の高い行動のシグナルなので、最優先でなんらかのアクションを取らなければならず、「脳」などが考えるのはこれまでの経験と知識から、適切な取るべき方法を選択するだけです。

「脳」とコンピュータ

「脳」の機能の一つである「記憶する」ことに関しては、かなり以前からコンピュータが人間をサポートしてきていて、自分自身が記憶して知識としているもの以外にも、世界中のありとあらゆる分野の内容についてデータ化されているので、それらを検索すれば自分の知識のように利用することができます。

ただ、それらのデータの多くは視覚と聴覚をベースにしたものが多く、自分が体験して得た経験や知識とは違って味覚、触覚、臭覚からの情報には乏しいので、それらを利用して行動する場合には、その点には注意をする必要があります。

視覚と聴覚からだけのデータが中心とはいえ、今やコンピュータはAIによって考えるヒントの提供だけでなく、結論までも導いてくれるので、人間のサポートとしての道具ではなく、代役を果たす役割を担うまでに至り、考えるという作業がなくなってきている状況です。

スマホを手もとにおいておけば、分からないことはすぐに調べて分かるので、とくに記憶しておかなくても不自由はないし、英語などの外国語も外国人と話したり、文章を翻訳するだけでしたら、特別な知識がなくてもスマホの翻訳機能を活用すればその場をしのぐことはできるし、できごとなども写真に撮っておけるので、過去を比較的鮮明に思い出すことができることから、記憶しておかなくても用は足りるものの、その時の思い出を引き出すための手がかりとなる視覚、聴覚以外の味覚、触覚、臭覚などからの情報の記憶は必要ですね。

もともと人間の「脳」はなまけ者だと思っていたのに、コンピュータの発達や高度なサポート、利用方法などの影響で脳が退化、とまでいかなくても小さくなっていき、さらに機能が低下し、これから先どんな行動の役に立ってくれるのだろうかとか、どうすれば健康で元気な状態に維持しておけるのだろうか、と自分の「脳」で考えながら、なまけものの「脳」を強い意志で働かせてこの文章を書いています。

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