第102話 失敗

考え方が変われば生き方も変わります
悩むことで心を傷つけるより、頭を使って考え、違う生き方を試してみませんか

失敗って

何かをやったあとにその結果が当初想定したり、望んだとおりにならなくて、しまった、とかやってしまった、とかの思いになり、いわゆる失敗してしまった、という状況になることがありますよね。

失敗ってどういうことなんでしょう。

失敗とは、自発的な動機や誰かからの目的を達成するような指示に従って、やろうとしたことがらが、少なくてもその時は、思うような、望んだような結果を出すことができなかった、ということではないでしょうか。

失敗したら

出てしまった結果に対して、その時点で考えなければならないのは、まずはその影響ですね。迷惑をかけたかもしれない周りへの影響、関連する業務などへの影響、スケジュールなど次の予定などへの影響などをはからなければいけません。

与えてしまった金銭的や精神的、物理的なダメージの程度、大きさ、深さも考慮しなければなりません。

次にそのリカバリーです。やろうとしたことは多くの場合、うまくいくことが前提になっていて、周りの方たちや関連の業務も期待をこめて次のことを予定しているので、そうならなかったことの影響をできるだけ最小限にとどめられる対策を講じる必要があります。

うまくいかなかった原因にもよりますが、影響を与えてしまった方たちへの事情の説明と謝罪は当然として、もしかしたら補償なども発生するかもしれません。

うまくいかなかった程度にもよりますが、謝れば済むのか、代償を払えば済むのか、やり直せるのかなど、関係者の理解を得なければいけません。

失敗の原因

そして原因の分析です。二度と同じような過ちを起こさないように原因を追究し、必要な対策を講じなければなりません。

うまくいかなかった原因の一般的なものは、スケジュールに無理があった、手順や段取りが悪かった、当初の前提への見通しや考え、条件が違っていた、できるだろうと安易な気持ちで取り組んでいた、必要で十分な情報が不足していた、途中で想定と違った状況が発生や展開が起きた、個人やチームにやり遂げる能力が不足していた、チームに目的意識や手順などが徹底していなかった、人手が足りなかった、協力者への人物評価や反応に誤りがあった、資金が不足だった、タイミングや時期への配慮が誤りだった、などがあります。

今回のうまくいかなかった原因を、前提や当初の計画と比較するなどして客観的に分析する必要があり、それに基づいた対策が講じられないとまた同じような結果を生んでしまうことになります。

やったけれどうまくいかなかった失敗というのにもいろいろなタイプがあり、なかには会社や他人に損害を与えたり、与えられたミッションを期限までに達成できなかったというものもありますが、自分自身が目標として設定したレベルに到達できなかったというものもあり、それは自分自身がハードルを上げたためですね。

失敗はやった結果

しかし、結果は望んだものにはならなかったけれど、そのことをやったということだけは事実なので、やらなかった場合と比べて一つの経験をしたことは確かだし、自分が原因でうまくいかなかったことへの償いの大きさは、試みたことがらの規模の大きさに比例するものですね。

また、一生懸命に頑張ってやってみたけれど思うような結果が出なかった場合、このことは自分に向いていない、とかこれをやり遂げる才能が自分にはない、ということが分かっただけいいと思うことができれば、一つのいい経験をしたことになり、結果を次に生かすことができますね。

さらに、じょうずに原因の分析と次への対策を立てることができれば、それは成長したことになり、今度はうまくやることができるでしょう

やった結果が望んだものにならなくて失敗だったと感じることもあれば、それを恐れたり、避けるためにやらなかったことが失敗だと思うことがあるかも知れません。

その意味では、失敗することを恐れることを口実に新しいことに挑戦しなかったことを失敗と言えるでしょうか。 

やってみたから結果が出たのであって、やらなければ結果は出ませんよね。

もちろん、やらなくてもその結果がわかることもあります。

やらなかったことが失敗かどうかはわかりませんが、あの時にあれをやっておけばよかったかな、と後悔したり、後悔まではいかなくても、もしやっていたらどうだったのだろうと想像することがありますね。

あの時にいろいろな理由からやらないと決めたことがらに対して、もしやっていたら大きなチャンスを得たかも知れないのにチャレンジしなかった、もしやっていたら今頃は、と想像したり後悔したりするかも知れませんが、やっていないので結果は分からないのだから、やらなかったことに対する失敗というのはないのではないでしょうか。

失敗というのはあくまでも、やったことがらをやる前に目指した望む状況にならなかったということに対する反省ということでしょう。

やったことが思うような結果を出すことができずに、そこでそのことがらをやることをやめてしまえば、いわゆる失敗のままということになりますが、次に続けるようにチャレンジしたり、反省をして別のことがらをやることにその経験を生かすことができれば、失敗という一面だけでなく、もう一つ経験という面を生むことになります。

何もかもが思いどおりにうまくいく、ということはあまりなく、何かをやって望んだ結果を出せなった場合にはその原因を分析し、次への行動のヒントにする、というようなことを繰り返して成長をしていく。

おそらく、人が成長していくためには大なり小なり、このようなプロセスをたどっていくのではないかと思いますので、周りの人たちからもできるだけ失敗を許していただき、再挑戦のチャンスを与えていただきたいと願います。

他人の失敗

自分がしてしまった失敗は、自分の中でそのように向き合えばいいと思いますが、ほかの人がしてしまった失敗に対しても同じように向き合うことができるかどうかですね。

もしかしたら、他人(ひと)の失敗は、期待していたのに、とか予定していたのに、という気持ちが強くなり、許すとか大目に見るとか長い目で見るというように、広い心で許容することが難しい場合もあるのではないでしょうか。

自分が失敗した時に、周りの人たちに求めるような対応を、他人(ひと)の失敗に対して、自分ができるかどうかですね。

もちろん、他人(ひと)の失敗で、自分が受けた影響の大きさの程度にもよるのかも知れませんが、悪意がなかったことを前提として、状況に対して自分を当事者として考えて、受け止めて理解し、その上で起こってしまった状況に対する対応がとれるかどうかですね。

自分が失敗をした時に感じている責任感を、おそらく失敗した人も同じように感じていることにも配慮が必要ですね。

寛容な対応もあるだろうし、アドバイス的な対応もあるだろうし、苦い経験をさせる対応もあるだろうし、相手との現在の関係、これからの関係を十分に考慮した対応が必要ですね。

失敗は転機

自分の場合も、他人(ひと)の場合も、予定したことがうまくいかなかった時に関係者のそれぞれの対応でこれまでの関係を再認識したり、これから先の関係に大きな影響があるかも知れませんね。

これまで信頼関係があったと思っていた付き合いや、思わぬ人が支援をしてくれたり、失敗した時にわかることもあるし、少なくてもこれまでと全く同じ、ということは難しい状況になると思うので、起きてしまった結果と、周りの方たちの対応などすべてを受け入れて、失敗したことは自分がこれから先どう変わっていかなければならないかを判断する転機になるでしょう。

羽澤 幸成

学生時代の県人会幹事長として、のちに大活躍される国会、県会、市会の議員の方や役所の方、趣味の音楽活動を通じて芸能の世界で生きている方など多くの人たちに接し、社会人になってから海外進出など多くのプロジェクトを軌道に乗せ、その分野の専門の方たちとも知り合い、いくつかの新しいことにもチャレンジして、早期退職後の企業信用調査の仕事では、それまでの大きな会社の人たちとは違う中小企業や個人事業の方たちとお会いし、いまは地域コミュニティ活動を通じて地域の方たちと交流活動をしています。
それらのキャリアを通じて、たくさんの経験をし、外国の方も含め多くの人たちに出会い、楽しいことばかりでなく、いやな思いもたびたびして、いろいろなことを学びました。
それぞれの世界で、多くの人たちが作る人間模様のなかで、うまくいっている人やそうでない人もいて、能力以外に考え方が違うのだ、と感じました。
人それぞれ考え方が違うので、当然に生き方も異なり、一緒に仕事や生活をしながら、なぜ、そうするのかを考えることの繰り返しで対応しながらも、自分の信念は曲げずに生きてきたので、心を痛めて悩んでいる人に、こうは考えられないかな、と頭を使って苦境を打開するキッカケになってくれればと思っています。

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生き方の考え方

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