第104話 いい人

考え方が変われば生き方も変わります
悩むことで心を傷つけるより、頭を使って考え、違う生き方を試してみませんか

いい人

これまで、多くの方たちと出会い、お付き合いを始めるとほとんどの方はいい方なのですが、なかでも「この人、本当にいい人だな」と思える方が何人かいらっしゃいました。

考え方や振る舞いに私利私欲が感じられず、特別に気を遣っている様子はうかがえないけれど人当たりも穏やかで、誰にでも公平に接し、他人(ひと)のための努力を惜しまない方。

まわりの誰からも好かれていて、慕われていて、人望もあって、一緒にいると周りの人たちを明るくしてくれる方。

さまざまなお人柄はありましたが、総じていうとそのような印象を受けてきた方たちです。

逆に言うと、「いい人でない方」と思ってしまうのは、そうでない印象を受けてしまう方ということになります。

「いい人」もそれが過ぎると損をするとよく言われますが、どのような状況になると「損」というかによりますが、そのようなことはなく、逆に周りの人たちからはその人のためならできる限りの協力をしたいとさえ思われているようで、その人を中心にいい関係が作られている場合が多く見受けられます。

ただ、昔の映画の「男はつらいよ」の主人公「フーテンの寅さん」は自分自身に正直に生き、愛すべき人柄で、本当に“いい人”だとは思いますが、彼と同じ職場で働いたり、仮に部下として一緒の仕事をしたいか、というと遠慮したい気持ちになります。

私と縁のない世界で生きていらっしゃるから、客観的な評価として、無責任に面白い人、“いい人”となるのでしょう。

私にとって「いい人」

比較的、密接な関係で一緒に仕事や生活をしているなかで、周りから「いい人」と言われている人は、『第9話「自分」は「私」を知らない』で書きましたが、周りの人にとって“(いると都合が)いい人”というケースが多いようです。

逆に、“よくない人” と思われている人は、周りの人にとって(いると都合が)よくない人”という場合が多いような気がします。

「いい人」と言われている人は必ずしも、何かの時に力を貸してくれそうという打算的な意味合いだけでなく、一緒にいて楽しいとか、話しを聞いてくれるとか、振る舞いをいていると心が和む、といった心情的な意味合いからの印象もあります。

ある人のことを「いい人」と思うのは、あくまでもその人の主観であって、理由はある意味で打算的であったり、心情的な意味合いが含まれている場合が多いですね。

とくに、心情的な意味でその人のことを「いい人」という印象を持ち、気が合ったり、心を通じ合わせることができたり、居心地がよく感じたりするのはなぜかですね。

『第10話 「好きな人」「嫌いな人」は「自分」』でも書きましたが、おそらく、大好きな人やいい人だと思っている人の前にいたり、一緒にいる「自分」は、「自分」でも気に入っている「自分」なのではないでしょうか。

それに比べて、大嫌いな人やイヤな人の前にいたり、一緒にいる「自分」は、「自分」でも気に入らない「自分」が出ているのではないでしょうか。

つまり、「好きな人」と「嫌いな人」というのは、この人やあの人ではなく、「好きな人」の前にいる「自分」や「嫌いな人」の前にいる「自分」ということになり、「好きな自分」と「嫌いな自分」や「自分の好きな部分」と「自分の嫌いな部分」を「自分」が感じているためだということになるので、人物評価は主観的になってしまいますね。

私にとっては「いい人」でも、ほかの方にとっても「いい人」とは限りません。

「いい人」というのに絶対的な基準なないものの、周りの人の多くが「いい人」と言うのでしたら、本当に「いい人」なのでしょう。

いまは「いい人」

ある人を「いい人」というのはその人の主観であって、その人にとってという条件を付けての評価だし、さらに言えば「いま時点での」という限定的なものになります。

これも『第34話評価の物差し』で書きましたが、人物評価の物差しは、評価される人の部分的な面についてだけの、評価する人の「好き」「嫌い」という感情が大部分の主観的でしかなく、その時点の人物評価は相手の方の最終形ではなく、「いまは」という前提で、何かのきっかけがあれば“いい人”や“よくない人”の印象も変わってしまうので、いま時点のもので、評価する人の内容も普遍的なものではなく、すぐに変わる可能性もあります。

自分が原因の場合もあるだろうし、自分の知らないできごとなどで相手の気持ちは変わっていきます。

その理由が理解でき、変わっていくことが許容できればいいのですが、わけが分からずに変わってしまった場合などは戸惑いからいろいろなことを想像し、相手に対する信頼も薄れるかも知れません。

また、相手が変わらなくても自分に同じように心の変化が起き、相手に対してこれまでと違った印象を持つようになるかも知れません。

人の評価というのは、いつまで続くのかは分からないので、「いまのところは」という前提条件が付くことになりますね。

私は「いい人」

自分がほかの人からどう思われているのか、「いい人」と思われているのか、そうでないのか、にも関心がありますね。

これも、『第9話「自分」は「私」を知らない』で書きましたが、「私」は、あなたにとっての「私」なので、「私」は「あなた」の印象です。

そんな「私」が「いい人」かどうかは、もちろん「あなた」の印象です。

私が意識しようがしまいが、「私」の振る舞いに対する「あなた」の印象なので、「私」は「あなた」の印象をコントロールすることは難しいです。

相手に、よかれと思ってしてあげたことでも、相手がそのように思ってくれるかは、日ごろのその人とのつきあい方や、してあげた時の印象などにも左右されるので難しいです。

「私」は、「いい人」と思ってもらいたい「あなた」に対して、精一杯そのように努力はしますが、ほんとうの「自分」を偽ってまでは、やがて分かってしまうことなので、とりつくろいません。

私は、信頼できる人とのお付き合いを自分への評価の物差しにしています。

その方とのお付き合いのなかで私への評価を感じ取り、いつものようなお付き合いができれば安心し、なにか変わったと感じた場合には原因を考え、反省して、心当たりの部分を修正して、その方からの信頼を失わないように努めています。

「いい人」と一緒にいると

私は「いい人」といるのが好きですが、その理由は「いい人」といると自分も「いい人」でいられるからです。

逆にあまり好きでない人や周りからの評判もあまりよくない人といると、自分でも嫌いな攻撃的な面が出たり、本心ではない対応をしてしまいがちになるので、自分でも好きな部分で接することができず、自分でも嫌いな部分での付き合いになるので、自分でも嫌な気分ですが、当然に相手も攻撃的になったりして好ましくない面を出すことになり、私に対してもいい印象を持ってもらえず、関係は悪循環になってしまいます。

「いい人」と一緒にいると、心を穏やかに過ごすことができ、相手に対して攻撃的になったり、卑屈になったりする自分のイヤな面を出さずに済んで、つまり、「いい人」といっしょにいると自分もいい人でいられるということです。

いまのところ、自分で「いい人」と思える人と一緒にいるようにしたいです。

羽澤 幸成

学生時代の県人会幹事長として、のちに大活躍される国会、県会、市会の議員の方や役所の方、趣味の音楽活動を通じて芸能の世界で生きている方など多くの人たちに接し、社会人になってから海外進出など多くのプロジェクトを軌道に乗せ、その分野の専門の方たちとも知り合い、いくつかの新しいことにもチャレンジして、早期退職後の企業信用調査の仕事では、それまでの大きな会社の人たちとは違う中小企業や個人事業の方たちとお会いし、いまは地域コミュニティ活動を通じて地域の方たちと交流活動をしています。
それらのキャリアを通じて、たくさんの経験をし、外国の方も含め多くの人たちに出会い、楽しいことばかりでなく、いやな思いもたびたびして、いろいろなことを学びました。
それぞれの世界で、多くの人たちが作る人間模様のなかで、うまくいっている人やそうでない人もいて、能力以外に考え方が違うのだ、と感じました。
人それぞれ考え方が違うので、当然に生き方も異なり、一緒に仕事や生活をしながら、なぜ、そうするのかを考えることの繰り返しで対応しながらも、自分の信念は曲げずに生きてきたので、心を痛めて悩んでいる人に、こうは考えられないかな、と頭を使って苦境を打開するキッカケになってくれればと思っています。

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