雑記その21 季節の風物詩

考え方が変われば生き方も変わります
悩むことで心を傷つけるより、頭を使って考え、違う生き方を試してみませんか

季節の移り変わり

日本には四季という季節の移り変わりがあり、日本人はそれらを感じながら、対応しながら生活に変化をつけたり、季節ごとの花木や食べ物、景色などを楽しんできました。

もちろん地域によって変化の時期や変化の大きさ、特色は違いますが、それでも一年を通じて、というレベルでは日本中でそれぞれの四季を味わうことができます。

巡ってきた季節を今年も無事に迎えられることを祝ったり、豊作や豊漁、健康、成長などさまざまな願いや祈りを込めたり、楽しんだりして日本では昔から各地で季節の行事や伝統行事などが年中行事として儀式やお祭りなどを行ってきて、それらが気温や景色、風景、花、食べ物などとともに季節を特徴づける風物詩になってきました。

おもな年中行事

新暦を基準に月ごとにおもな年中行事や風物詩をあげると次のようなものがあります。

広く行われているおもな年中行事は次のようなものがあります。

「1月」お正月、七草かゆ、成人式 書初め。「2月」節分、バレンタインデー。「3月」ひな祭り、ホワイトデー、お彼岸。「4月」エイプリルフール、お花見、入園・入学式、花まつり。「5月」こどもの日・端午の節句、母の日、ゴールデンウィーク、八十八夜。「6月」田植え、衣替え、蛍狩り、父の日、梅雨、夏至。「7月」七夕、お中元、海開き・山開き、土用の丑の日、暑中見舞い。「8月」夏休み、夏祭り、お盆、帰省、花火。「9月」敬老の日、重陽の節句、お月見・十五夜、二百十日、秋祭り。「10月」衣替え、体育の日、ハロウィン、十三夜、紅葉狩り。「11月」七五三、文化の日、ボジョレヌーボー、勤労感謝の日、酉の市。「12月」お歳暮、クリスマス、すす払い、大掃除、冬至、年越し。

それぞれに始めたいわれや由来、由緒、歴史などがあり、独特のやり方や用具、道具があって、しきたりや風習となっていて、もちろん、これらはいまでも様式は多少変わってきているかも知れませんが各地で引き続き行われたり、感じたりすることができます。

このなかで、我が家でその時期に特別に執り行っているものは7つから8つくらいです。

おもな風物詩

一般的なおもな風物詩としては次のようなものがあります。

「1月」年賀状、お節料理、お餅、門松、羽根つき、凧あげ。「2月」節分、豆まき、雪、梅、うぐいす。「3月」ひなあられ、桃、卒業式。「4月」入学式、入社式、若葉、お花見、桜、潮干狩り。「5月」こいのぼり、柏餅、母の日、カーネーション。「6月」ホタル、梅雨、傘、アジサイ。「7月」花火、うなぎ、海、セミの声。「8月」夏休み、かき氷、高校野球、プール、海水浴、バーベキュー。「9月」すすき、月見。「10月」読書、芸術、運動会、かぼちゃ。「11月」七五三、ワイン。「12月」クリスマス、鍋料理、大掃除、年越しそば。

どれも季節の変化による気温や景色の移り変わり、植物や生き物たちの出現、旬や特徴的な食べ物などによって季節感を想起させるものばかりで、俳句のお題や季語として詠まれてきました。

ここに挙げたものは一般的なもので、地方によってはさらに特色のある行事や風物詩があることでしょう。

季節を感じる

これらの年中行事や風物詩を今でも体験されている方はそれほど多くはいらっしゃらなくても、昔、子どもの頃に体験したことがあるという方は多いのではないでしょうか。

これらを体験している、ということは生活のすぐ近くに季節があって、季節を愛でたり、感じたりする心の余裕というようなものがあるということですね。

昔、親がしてくれたようなこれらの季節ごとの行いを、自分が親になった時に子供や孫にしてあげられているでしょうか。

できているのならば、それは素晴らしいことだと思いますが、もししてあげられていないのならば、それはなぜなのでしょうね。

季節は、昔と同じように巡ってきてはいるのに、親たちの世代では比較的普通に、多くの家庭で行われていたのに、いまではなぜか季節を正面から受け止める意識が薄れてきたように感じています。

季節への関心

一日の大半を過ごす家庭や会社、学校ではエアコンが効いていて、一日やさらに一年を通じて寒暖に差を感じることが少ないため、特に寒さや暑さに対して個人で対策を講じる必要がなくなってきた、というのも季節を感じなくなって原因なのかなと思うし、それによって季節に対する感度や感性が薄まってきているのかも知れないと思うと便利さも少し罪深い気がしますね。

季節の変化に対するアンテナの感度が弱まり、あまり関心がもたれなくなった原因の一つに近年、風物詩というか季節の特徴としてニュースや話題に挙げられているのが災害関連となること多く、風流などというものからかけ離れてしまっているからではないでそうか。

冬は豪雪、梅雨時は大雨、夏もゲリラ豪雨や線状降水帯、雷雨、竜巻、暑さも尋常ではなく猛暑、酷暑と言われるレベルです。秋は大型台風とその影響の強風と川の氾濫や土砂崩れなど、これまでも起こってきた自然現象ではありましたが、地球温暖化の影響なのか気象の変動幅が大きくなり、それらはこれまでの想定を超えて被害を引き起こす猛威という規模にまでになってしまいました。

もちろん日本中すべてが、というわけではありませんが局地的な現象、被害というのも、近年の異常気象の傾向です。

その逆に、日本中で味わうことができた季節の風物詩や食べ物などに人々の関心が薄れてきたようにも感じます。

春の梅の香りやウグイスの声、薫風。夏のセミの声。秋の月や夜長。冬の木枯らしなどはあまり話題にならなくなってきたように感じます。

春の桜などには日本中が大騒ぎをしているようですが、それも自然発生的というよりはマスコミの影響が大きいように見受けられるし、それ以外の四季の変化など自然への感性が働きにくくなった気がしています。

皆さん勉強や共働きなどで忙しくて、これまでと余暇の過ごし方に変化が起きているからのか、スマホにばかり目がいって、周りを見渡す余裕がなくなっているからなのか、空調の効いた部屋で過ごす時間が増えたためなのか、SNSなどの浸透で手紙やメールの冒頭に時候の挨拶が省かれるようになり季節に敏感である必要がなくなったことも原因なのか、生活の洋風化で肉が中心の食事になり、季節感のある野菜や魚などが敬遠されているからなのか、その野菜や魚も昨今の冷蔵・冷凍技術の進歩で一年を通じて食卓に並ぶようになったこともあるのか、または世間があまりに騒がしく、季節を味わう気分どころではないのか、日々必ず起こっている季節の変化に気持ちが向かなくなってきたようです。

近年、季節の行事というかイベントとしてマスコミに取り上げられるのが、成人式のほか海外発祥のバレンタインデー、ハロウィン、クリスマスなどですが、それらも以前のものからだいぶカタチが変わってきているようだし、ゴールデンウィークやお盆の帰省などは電車や飛行機の混雑と交通渋滞の様子だけが報じられ、節句や七夕、月見、中元・歳暮はあまり楽しめず、コスパも悪いと思われているのかこだわる人も少なくなってきているようです。

季節と暮らす

一昔前の首都圏あたりでは、冬にはご近所と力を合わせて雪かきをしたり、春には今ほど大騒ぎではなく親しい方たちとお花見をしたり、夏には子どもたちは海やプールで遊び、大人は街に流れるハワイアンに誘われてビアガーデンで語らい、秋にはさまざまな食べ物が食卓をにぎわして、それぞれが季節を楽しんでいたような気がします。

順番に巡ってくる季節を行事や風物詩を通じて感じ、景色や食べ物、お祭りや集まりなどで楽しみ、一つ一つを過ごしていき、次を迎える準備をすることで時の流れを実感し、人生を進めていることを体現していく気がしています。

季節ごとの気温や色、味、香り、音や声、風や雨などを何気ないながらも強く感じて、味わえるような感性と心の余裕をもって生き、一緒に味わってくれる親しい方たちとのお付き合いをしていたいですね。

それには、自然にも穏やかに変化していただくという協力が必要ですね。

羽澤 幸成

学生時代の県人会幹事長として、のちに大活躍される国会、県会、市会の議員の方や役所の方、趣味の音楽活動を通じて芸能の世界で生きている方など多くの人たちに接し、社会人になってから海外進出など多くのプロジェクトを軌道に乗せ、その分野の専門の方たちとも知り合い、いくつかの新しいことにもチャレンジして、早期退職後の企業信用調査の仕事では、それまでの大きな会社の人たちとは違う中小企業や個人事業の方たちとお会いし、いまは地域コミュニティ活動を通じて地域の方たちと交流活動をしています。
それらのキャリアを通じて、たくさんの経験をし、外国の方も含め多くの人たちに出会い、楽しいことばかりでなく、いやな思いもたびたびして、いろいろなことを学びました。
それぞれの世界で、多くの人たちが作る人間模様のなかで、うまくいっている人やそうでない人もいて、能力以外に考え方が違うのだ、と感じました。
人それぞれ考え方が違うので、当然に生き方も異なり、一緒に仕事や生活をしながら、なぜ、そうするのかを考えることの繰り返しで対応しながらも、自分の信念は曲げずに生きてきたので、心を痛めて悩んでいる人に、こうは考えられないかな、と頭を使って苦境を打開するキッカケになってくれればと思っています。

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