第15話 「ありがとう」と「スミマセン」

考え方が変われば生き方も変わります
悩むことで心を傷つけるより、頭を使って考え、違う生き方を試してみませんか

感謝の気持ちのいろいろ

他人に自分のために何かをしてもらった時に「ありがとう」とか「スミマセン」とか言いますね。

その時の状況によって、何も考えずに、なにげなくどちらかを使い分けていますが、ニュアンスは違いますよね。

英語では「ありがとう」という気持ちを伝えるには「サンキュー(Thank you)」と言いますね。

一方、「スミマセン」という英語は「アイム・ソリー(I’m sorry)」となりますが、これは主には謝罪の意を表す場合に言い、感謝をしているという気持ちは少ないですね。

日常的に、「ありがとう」という場合には当然に感謝の気持ちを表しますが、「スミマセン」もお礼の言葉として使う場合がありますね。

両方とも親切心からしていただいたことに感謝やお礼の気持ちはあるのですが、感謝の意味合いが多少違う気がします。

状況を考えてみると、「ありがとう」と言う場合の気持ちは、「していただいてありがとうございます。また同じような状況になった時は力を貸してください。」という感じではないでしょうか。

「スミマセン」と言う場合の気持ちは、「本来は自分でやらなくてはいけないのに、していただいてご迷惑をおかけしました。次からは自分でやるようにします。」という感じのような気がします。

より感謝の気持ちが純粋に出ているのは「ありがとう」の方で、「スミマセン」は自分でもできたのに、あなたのような方にこんなことまでさせて申し訳ない、という気持ちが含まれているので、謝罪の気持ちからあやまるときに使う「スミマセン」となってしまうのは、「すまない」という気持ちの丁寧語だからでしょう。

「スミマセン」で済ます

最近、「ありがとう」という言葉をあまり聞かない気がします。

本来ならば「ありがとう」と言わなければいけない状況でも「スミマセン」で代用して済ませている様子をよく見かけます。

なにか「ありがとう」というと、自分でもできたのに、と卑屈に感じるのでしょうか。

心から「ありがとう」と言うと、弱い自分の本心が見透かされる感じがするのかな。

なぜだろう。もし想像が当たっているのなら、このようなことからも人と人とのつながりや絆が薄れている気がします。

お互いが助け合っているはずの家族の間では最もこのような状況が多く起こりそうだけれど、どれだけお互いに「ありがとう」という言葉を言っているでしょうか。

「スミマセン」とすら言わずに、なにかをしてもらっても、当然みたいな関係や意識になってはいませんか。

街のなかなどで、よその方にしていただいときには「ありがとう」と言えるのに、家族など親しい間柄になると、言わなくても感謝していることがわかるだろう、という習慣になり、なかなか「ありがとう」とか、ましてや「スミマセン」と、気持ちを言葉にすることが少なくなっていませんか。

感謝やお礼の気持ちは、言葉にして相手に伝えるとより人間関係が円滑になることは間違いないわけで、親しい間柄であればお互いが感謝の気持ちを伝えあうということは、かえって必要なことなのかも知れませんね。

もっと多く「ありがとう」と言ったり、聞いたりする世の中がいいな。

羽澤 幸成

学生時代の県人会幹事長として、のちに大活躍される国会、県会、市会の議員の方や役所の方、趣味の音楽活動を通じて芸能の世界で生きている方など多くの人たちに接し、社会人になってから海外進出など多くのプロジェクトを軌道に乗せ、その分野の専門の方たちとも知り合い、いくつかの新しいことにもチャレンジして、早期退職後の企業信用調査の仕事では、それまでの大きな会社の人たちとは違う中小企業や個人事業の方たちとお会いし、いまは地域コミュニティ活動を通じて地域の方たちと交流活動をしています。
それらのキャリアを通じて、たくさんの経験をし、外国の方も含め多くの人たちに出会い、楽しいことばかりでなく、いやな思いもたびたびして、いろいろなことを学びました。
それぞれの世界で、多くの人たちが作る人間模様のなかで、うまくいっている人やそうでない人もいて、能力以外に考え方が違うのだ、と感じました。
人それぞれ考え方が違うので、当然に生き方も異なり、一緒に仕事や生活をしながら、なぜ、そうするのかを考えることの繰り返しで対応しながらも、自分の信念は曲げずに生きてきたので、心を痛めて悩んでいる人に、こうは考えられないかな、と頭を使って苦境を打開するキッカケになってくれればと思っています。

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