第23話 「のに・でも・だって・のくせに」は不幸の言葉

考え方が変われば生き方も変わります
悩むことで心を傷つけるより、頭を使って考え、違う生き方を試してみませんか

「のに・でも・だって・のくせに」に続くのは不平や不満

いま仮に「お腹が空いている」とします。

この状態に「のに・でも・だって、のくせに」などの助詞をつけて文章を作ると、「お腹が空いている」「のに」「誰も作ってくれない」などというのが一般的ですね。

もう一つ、「困っている」状態の場合で同じように文章を作ると、「困っている」「でも」「誰も手伝ってくれない」、などとなります。

このように、「今の状態」に「のに・でも・だって、のくせに」などの助詞をつけると次に続く文章は、「不平や不満」「やらない・できない言い訳」などが続いてしまいます。

これは、「のに・でも・だって、のくせに」が「逆接の助詞」といわれるもので、一般的には、「もしかしたらなるかも知れないと思われる状況」や「すでになってしまった状態」に対して、「そうなって欲しくないという状況が続く」場合に用いられることが多いためでしょう。

事態は好転しない

そのため、これらの助詞を口癖のように言ってしまったり、頭に思い描いて発想をしたりすると事態が好転する可能性は少なくなります。

「のに・でも・だって、のくせに」の前の状況について、自分以外の人に原因を求めたり、誰かのせいで起きたので不満などを感じている、またはどうすることもできないと思っているところ、そのあとに続くその状況に対する行動が、「やらない・できない言い訳」となるものが多いので、状況は好転しないのです。

「〇〇のくせに」は、自分が思い描く相手の職業や立場を、相手に押しつけて比較するものなので、自分の知識や「そうであって欲しい」などの願望で思い描いたイメージが一般的なのが正しいのかの検証もなく、客観性に欠けている可能性があるので、思い違いを含めて、不満を抱くのはよくあることかも知れません。

このように、ある状態に対してリアクションを起こすときに「のに・でも・だって・のくせに」という発想で考えると不満が生まれ、決してハッピーな状態ではなくなるのです。

不平や不満を感じている状況に対する行動が、状況を好転させようというものではなく、「やらない・できない言い訳」などのものになることが多いので、その状況が続いてしまい、幸せを感じにくくなるのです。

いま望まない状況にいて、何とかしたいと思うのならば、「のに・でも・だって、のくせに」がつく発想をできるだけ避けて、誰かが何かをしてくれることなどは期待しないで、自らが行動を起こすことが一番の方法だと思うのですが。

羽澤 幸成

学生時代の県人会幹事長として、のちに大活躍される国会、県会、市会の議員の方や役所の方、趣味の音楽活動を通じて芸能の世界で生きている方など多くの人たちに接し、社会人になってから海外進出など多くのプロジェクトを軌道に乗せ、その分野の専門の方たちとも知り合い、いくつかの新しいことにもチャレンジして、早期退職後の企業信用調査の仕事では、それまでの大きな会社の人たちとは違う中小企業や個人事業の方たちとお会いし、いまは地域コミュニティ活動を通じて地域の方たちと交流活動をしています。
それらのキャリアを通じて、たくさんの経験をし、外国の方も含め多くの人たちに出会い、楽しいことばかりでなく、いやな思いもたびたびして、いろいろなことを学びました。
それぞれの世界で、多くの人たちが作る人間模様のなかで、うまくいっている人やそうでない人もいて、能力以外に考え方が違うのだ、と感じました。
人それぞれ考え方が違うので、当然に生き方も異なり、一緒に仕事や生活をしながら、なぜ、そうするのかを考えることの繰り返しで対応しながらも、自分の信念は曲げずに生きてきたので、心を痛めて悩んでいる人に、こうは考えられないかな、と頭を使って苦境を打開するキッカケになってくれればと思っています。

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