第34話 評価の物差し

考え方が変われば生き方も変わります
悩むことで心を傷つけるより、頭を使って考え、違う生き方を試してみませんか

あの人は・・・

「あの人はすごい人だ」とか「あの人は大したことはない」とか「あの人はだめだ」などとほかの人について、あれこれ評価することを耳にしますね。

最初に、何について評価しているのかの説明がないと、理解ができないですね。

例えば、陸上の100m走の話題であれば、記録がありますから、そのことに限定しての評価には妥当性がありますね。

9秒台で走る選手は「すごい」、10秒台半ばであれば「大したことはない」、11秒台であれば「だめだ」という評価は一般的なので納得はできますが、それも絶対的ではなく、100m走の陸上選手としては、としてほかの選手と比べた相対的な、限定的な評価で、もちろん、私と比べれば、皆さん「すごい」となります。

ほかにも、各種スポーツで活躍する選手や、歌や楽器演奏をする人、ほかの芸術の分野で活動する人、などなどその分野では、同じ分野のほかの人と比べれば、という条件では似たような評価になるかも知れませんが、これもまた私と比べたら皆さん「すごい」となります。

そもそも凡人の私には、そんな達人たちを評価できる立場ではないのですが、世間話しのなかではそんな話題が出ますね。

人物評価

人物評価も、その分野に限定して、その分野のほかの人と比べてということになりますが、分野が特定できない仲間内の知人や芸能人の人物評価は、ほかの人と比べようがないですよね。

仲間内の人物評価で、「あの人はすごい」とか「あの人はだめだ」という評価があっても、誰と比べて、どこがどう、ということを説明することは難しいですね。

なぜなら、「性格」や「能力」について、その人のすべてを知っているはずがないので、ほかの人と比べようがなく、評価のしようがないです。

評価する人の前でのその人の振る舞いや態度、表現について評価する人が感じた印象で評価したものなので、評価する人の独特の評価基準に依らざるを得ず、その評価基準の大部分は「好き」「嫌い」の主観的なものになってしまうし、その人も評価する人以外の人と接する場合には違う態度となるのでしょうから、その意味では部分的な評価ですね。

せめて評価の単位があれば分かりやすいかも知れませんね。

「センチ」、「グラム」、「円・ドル」、「時間」、「温度」、「味」のような単位で評価するのであれば、これまでの知識などから、ある程度人物評価に納得ができるかも知れませんが、それも身長とか体重など測れるものに限定され、容姿や話術などについての評価は難しいですよね。

「いま時点」の評価

ある人の人物評価を話す人は、聞く人からもその人の価値観や人間性などについての人物評価を受けることになり、話す内容が聞く人と同じか、または一般的であればいいのですが、その人独特の片寄った人物評価の場合は、聞く人から「そんな見方しかできないのか」と、マイナスの印象を与えてしまいます。

つまり、人物評価の物差しは、評価される人の部分的な面についてだけの、評価する人の「好き」「嫌い」という感情が大部分の主観的でしかないので、その内容は人それぞれのものになり、同じ人の評価でも高く評価する人もいれば、そうでない評価をする人もいて当然で、世間話しの無責任な会話の内容が、たとえ本人に伝わったとしても、それはそれとして聞き流すしかないですね。

なぜなら、人物評価はその人の最終形ではなく、いま時点のもので、評価する人の内容も普遍的なものではなく、すぐに変わる可能性もありますから、たとえ一人や二人くらいによくない評価のうわさがあっても、それ以上の人からそれなりの評価を受けているのなら、まったく気にかける必要はないですね。

さらに言えば、人は誰からも好かれ、高い評価を得るなどというのは大変に難しいことで、そうでない評価をする人がいることは、当たり前のことかも知れません。

評価する人の評価

他人のことについて、よくない評価のうわさ話しをしている人は、ほかの人からよくない評価を受けているケースが多いです。

他人の人物評価を私に言ってくる人は、私の人物評価をほかの人に言っていることでしょう。

ほかの人に好かれようと、その場その場を取りつくろっているのも大変で、自分自身を見失ってしまい、本来の姿にいい評価をしていた人にも変化を与えてしまうかも知れないので、気が楽なのは、自分がこれでいい、と思っているように振る舞えばいいし、それに対する評価は、どうぞご自由に、と受け流すことに限りますね。

「自分はあの人が嫌いだ」という人がいます。

相手があなたを好きなのに嫌ってやった、という感じで相手に勝った気がしているかも知れません。

しかし、なぜ嫌いになったのかの原因を考えてみると、あなたに好かれようとしない態度が気に入らなくて嫌いになったのだとしたら、あなたより先に相手があなたを嫌っていたことになり、あなたは負けているのです。

それをなんとなく感じているから、負け惜しみ的に嫌いになったということでしょう。

人物評価の代表としては、会社の人事考課があります。

人事考課の評価に際しては、その人に業務やミッションの内容を正確に伝え、スケジュールや収支の予算、サポート体制などの条件を明示し、評価の基準を事前に伝え、評価する人には社内規則・基準に基づく評価スキルを身につけていて、きちんと結果を本人にフィードバックするという仕組みや基準が、本人の成長や会社の発展につながります。

自分のいいなりになる、ならない、の好き・嫌いが評価の基準の人には評価されたくないです。

私は・・・

私は、信頼できる人とのお付き合いを自分への評価の物差しにしています。

その方とのお付き合いのなかで私への評価を感じ取り、いつものようなお付き合いができれば安心し、なにか変わったと感じた場合には原因を考え、反省して、心当たりの部分を修正しています。

人が人を評価する物差し、自分が自分を評価する物差しに絶対的な基準はないと思うし、自分のなかではこれまでの経験から独自の物差しを持っていますが、人それぞれの物差しがあると思っているので、人物評価はしますが、その内容を話すことはあまりありません。

私は、私が感じた「主観的な」人物評価で、お付き合いをする、しないを決めています。

羽澤 幸成

学生時代の県人会幹事長として、のちに大活躍される国会、県会、市会の議員の方や役所の方、趣味の音楽活動を通じて芸能の世界で生きている方など多くの人たちに接し、社会人になってから海外進出など多くのプロジェクトを軌道に乗せ、その分野の専門の方たちとも知り合い、いくつかの新しいことにもチャレンジして、早期退職後の企業信用調査の仕事では、それまでの大きな会社の人たちとは違う中小企業や個人事業の方たちとお会いし、いまは地域コミュニティ活動を通じて地域の方たちと交流活動をしています。
それらのキャリアを通じて、たくさんの経験をし、外国の方も含め多くの人たちに出会い、楽しいことばかりでなく、いやな思いもたびたびして、いろいろなことを学びました。
それぞれの世界で、多くの人たちが作る人間模様のなかで、うまくいっている人やそうでない人もいて、能力以外に考え方が違うのだ、と感じました。
人それぞれ考え方が違うので、当然に生き方も異なり、一緒に仕事や生活をしながら、なぜ、そうするのかを考えることの繰り返しで対応しながらも、自分の信念は曲げずに生きてきたので、心を痛めて悩んでいる人に、こうは考えられないかな、と頭を使って苦境を打開するキッカケになってくれればと思っています。

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