「適者生存」は変化への対応
自然界では、変化する環境の中で生き物は「生存競争」と「自然淘汰」というフィルターを通して対応できたものだけが生き残ります。
人間社会でも同じように、変化に対応して低次から高次へと進歩した者だけが生き残る、という「適者生存」という理論があります。
これは決して、優れた者が劣った者をけおとして、富を手にするのは当然だという「強者の論理」ではなく、より快適さや効率性、経済性などを不断に求める時代の要請に対して、その実現に貢献した者が生き残ることができるということでしょう。
しかしこれは時代に生き残れる者の条件であって、絶対的な勝者というわけではありません。
ましてや生き延びることだけを目標に、その努力に終始しているようでは本末転倒と言わざるをえません。
社会構成員それぞれに目標があって、その達成のために生き残る必要があるので、必然として変化に対応していかざるを得ないということです。
「社会的勝者」は社会への貢献
社会的勝者は、新たな時代を築いた者、時代に変革を与えた者がその地位につく可能性が高くなりますが、そのために不要となった技術やモノは淘汰されて消えて行っても、いまはたまたま不遇のために機会をとらえられなかった人たちも社会の活力となるので、社会の一員であり続けなければなりません。
化学・科学の分野ではiPS細胞やリチウム電池などなど、社会システムではSNSやユニクロ、メルカリ、ウーバーイーツなどなど、これまでと全く違った生活等式の実現に貢献した者だけが社会的勝者となります。
そして、これまでは新しい時代を作ってきたのは技術を含め人間個人や組織、ムーブメントでしたが、今や新しい時代を作り上げる可能性が高いのはAIによる提案を実現できる者になるのではないでしょうか。
時代に支持をされる状況をデータ、インテリジェンス、実現可能性(feasibility)、手法などを強力なパワーで提案してくれるAI、それをまた、コンピュータ技術を応用してモノやシステムを社会に適合できるように作り上げる者が時代の勝者になることでしょう。
なんの才能もなく、時代の変化の恩恵を享受するだけの私は、新しく訪れる世の中に生き残るというよりも、振り落とされないように、邪魔にならないようにしなくてはいけませんね。
時代や生存環境を変えるモノが人間の過ちや天災などではないことを切に願います。
健全な「社会システム」
いまや、世界的にも高度に、複雑に発達した社会の仕組みを維持し、さらに発展させていくためにはひとつの国の努力だけでは実現は不可能です。
社会の仕組みは高度に、複雑になれば、生活者の願望や欲望も高度化、複雑化します。
今までの状況では飽き足らず、さらに満たされたいと望みます。
生活環境や生活様式を望むカタチに変化させるためには、食料を含むモノが中心になるでしょう。
食料品など生活必需品が、誰でもが、安定的に、安く、容易に入手できる状況が、健康で文化的な生活の第一歩でしょう。
イギリスの経済学者、リカードがいう「それぞれの国が得意な産業に特化し、足りないものは輸入すれば経済は効率的になる」という「比較優位」的な考え方も有効かも知れません。
貿易戦争の原因にもなっている「保護主義」の先には不幸な結末しかないことは歴史が証明しています。
社会システムのなかで、富を得たり、立場的に力を持つ人や組織が存在することがやむを得ないことだとするならば、経済的な理由から生活に必要な物資などが入手困難な社会的弱者は、健全な社会システムの中でフォローするのではなく、別にきめ細かい配慮と公正で網羅的なセイフティーネットを設けるべきではないでしょうか。
能力のあるもの、持てるものが伸び伸びと活躍し、その恩恵で弱者が結果的に救われるという仕組みが社会全体で作られることが望まれます。
社会システムの変化に対応できたものが生き残ることになりますが、その条件となる社会システムを創り上げたり、選択したりするのは自然ではなく人間です。
世界中の人たちが心の豊かさを実感し、明るく、健やかに暮らせる仕組みは誰でもが望むところですが、それは天から降ってくるものではなく、世界中の人たちが協力し合うことでしか実現しないものではないでしょうか。
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