第72話 知育・徳育・体育

考え方が変われば生き方も変わります
悩むことで心を傷つけるより、頭を使って考え、違う生き方を試してみませんか

「五育」とは

教育の柱として「五育」と言われている、知育・徳育・体育・食育・才育の5つがあります。

「知育」は、知識を習得することによって基礎知識や思考力、創造力、集中力、問題解決能力などの知能を高めることを目的とする教育のことです。

「徳育」とは、人間として社会で生きていくための心情や道徳的な意識を養うなど人格形成を目指す教育で、ほかの五育と重なる要素が多く教育の根幹を担っています。

「体育」とは、適切な運動の実践を通して身体の健全な発達を促し、身体能力や健康な生活を営む知識などを養うことを目的とする教育のことです。

「食育」とは、前回の第71話で取り上げたように、「食」に関する正しい知識と望ましい食習慣を身につけることができるように取り組むことを目的とした教育のことです。

「才育」とは、子ども一人一人にある個性や才能を見出し、その才能を伸ばすための教育です。

学校教育

これからの日本を背負っていっていただく子どもたちに適切な教育は必要不可欠で、子どもたちが幅広い知識と教養、豊かな情操と道徳心、健やかな身体をはぐくみ、知・徳・体の調和ある人格の完成を目指すために学校教育が行われています。

学校では、「才育」を心がけながら「知育」「体育」「徳育」に重点を置き、学習塾では「知育」に特化し、「徳育」や「食育」はおもに家庭ではぐくまれます。

子どもたちには、基礎的な能力を伸ばして、感受性を豊かにしていって欲しいですが、近年の急激な環境の変化にこれまでの習慣やルールの適合が追い付いていなくて、大人以上に子どもたちが混乱している様子がうかがえますが、文部科学省はこのような状況を、「少子化、核家族化、都市化、情報化、国際化など我が国経済社会の急激な変化を受けて、人々の価値観や生活様式が多様化している一方で、社会の傾向としては、人間関係の希薄化、地域社会のコミュニティー意識の衰退、過度に経済性や効率性を重視する傾向、大人優先の社会風潮などの状況が見られる」としています。

「子どもの育ちの現状」

そのような環境変化を受けて文部科学省は、公表している「子どもの育ちの現状」では課題として、「基本的な生活習慣や態度が身に付いていない」、「他者とのかかわりが苦手である」、「自制心や耐性、規範意識が十分に育っていない」、「運動能力が低下している」などの点を挙げています。

それらの課題を解決するためには、学校だけに依存するのではなく、親や兄弟の家庭、生活の場としての地域社会などが「子どもの教育」という事柄に向き合う必要があります。

それらの課題の原因になっているのは、核家族化の進行や地域における地縁などのつながりの希薄化や女性の社会進出が一般的になり,仕事と子育ての両立のための支援が進み,子育てのほかにも,仕事やその他の活動を通じた自己実現の道が選択できる社会環境の変化、経済状況や企業経営を取り巻く環境が依然として厳しいなか,労働時間の増加や過重な労働などの問題が生ずる傾向にあり,親が子どもと一緒に食事を取るなどの子どもと過ごす時間が十分ではなくなっている、などが考えられますが、課題解決にはまず、これらの原因への意識面での対処が必要でしょう。

子どもの教育については、親や保護者に第一義的責任があるわけですから、子どもの健やかな成長を願い、それを楽しみにするという気持ちをエネルギーにして、その実現に幸せや生きがいを感じながら子育て以外の仕事などにも精励していくとう好循環を図ることができれば充実した人生を送ることができます。

また、「教育」というのは、「望ましい知識・技能・規範などの学習を促進する意図的な働きかけの諸活動を通じて教え育てること」で、その主たる施設は学校ということになり、子どもは生徒や学生として社会人になるまでの過程で様々なことを「学び」ます。

いずれにしても「教育」とは、「人生経験のある先生や親が、さまざまな分野において未熟な人や子どもに知識や技能を示したり、与えたりするもの」だと定義でき、教育する主体は先生や親であり、子どもは受け身的な立場であるかもしれませんが、教わった知識や技能などをしっかり理解したり深めたりするのは、子ども自身です。

「学び」

「学び」の場である学校は、習得すべき学問をすべて修得し、いわば「合格」というカタチではなく、時期が来ると自動的に、誰でも卒業として離れていきますが、この「学ぶ」ということは、なにも生徒や学生だけでなく、社会人になっても仕事に必要なことについてや専門の資格取得のために学問だけでなく技術・技能や体験などによって自己成長を図っていきます。

五育というのは、生徒や学生である時代だけで習得すればいいわけではなく、社会人になってからも、その時期、時期や場面、場面で必要に応じてやそれらに適合したり、将来起こり得る事態に備えて常に、「学ぶ」努力と意識を継続していく必要があり、五育からの卒業というには生きている限りあり得ないことになります。

ましてや、知育と徳育については社会人になってから、社会人になったからこそ必要な知識や技術の習得に加えて、人格や個性、人柄の形成という意味からもさまざまな経験や試練を経て、他人(ひと)の痛みが理解できたり、寛容さが培われるようになるなど、多くの人から大人と認められるためには常に努力目標とすべきものです。

特に最近では、社会の流れや政府の後押しもあって、「リスクリング」としてデジタル分野での学び直しや業務上で必要とされる新しい知識やスキルを学ぼうとする傾向が目立つようになり、その意味では人生は努力と意識をベースにした「学び」の連続ということになります。

とりわけ、学校などで教育に携わる人たちは、自己研鑽として五育への努力が必要であることに加えて、生徒や学生たちに、それぞれの個人に適した方法で五育を教えるスキルを身につけなければなりません。

いくつになっても、他人(ひと)の言動から学んだり、場合によっては子どもからの言葉に気づかされたりで、机に向かう勉強だけでなく自分を成長させていきたいという意識や努力がある限り、人は「学び」続けるものなのですね。

コメント

タイトルとURLをコピーしました