「学ぶ」ことと「勉強する」こと
「学ぶ」ことと「勉強する」ことは似ていますが、なんとなく違う気もしますね。
また、さらに似た言葉に「学習する」や「習いごと」というものもあり、ニュアンスとしては「学習する」は「勉強する」に近くて、「習いごと」は「学ぶ」に近い気がしますね。
「学ぶ」ことと「勉強する」ことの違いを理解するには、子どもに通わせる「学習塾」とピアノや水泳などの「習いごとやお稽古」を例にとると考えやすいかも知れませんね。
同じように、「記憶する」と「覚える」という言葉も似ていますが、「記憶する」は「勉強する」に近くて、「覚える」は「学ぶ」に近い気がします。
「勉強する」には、机に向かって教科書や書物などによって知識を詰め込むというイメージがあり、「学ぶ」には、体験も含めて身につけるというイメージがあります。
「勉強する」のは何も学生時代などだけでなく、社会人になってからも資格取得のために「勉強する」ことはあり、「勉強」で思い浮かぶ熟語の代表が「受験勉強」でしょう。
「学ぶ」ためには、一定レベルの知識や世の中のさまざまな関係性や社会性が理解できている必要がありますので、幼児や子どものころに「学ぶ」というのはあまりないことで、やはり「学び」始めるのは早くても小学校高学年以降からになるのではないでしょうか。
英語の「study」と「learn」の違い
英語で例をあげれば、「study」と「learn」の違いということになるでしょうか。
「study」は、名詞で「勉強」、「研究」、「検討」など、他動詞で「(~を)勉強する」、「(~を)研究する」、「(~を)調査する」など、自動詞で「勉強する」、という意味です。
「learn」は、他動詞で「習い覚える」、「習得する」、「覚える」、「記憶する」などの意味があります。
日本語では同じ「学ぶ」という意味を含みますが、具体的には「学ぶ」ことの時間の経過や過程のニュアンスがあるのが「study」で、「学ぶ」ことの結果や到達に意味合いがあるのが「learn」となります。
動詞の区分でいうと「study」は持続可能な動詞として、「歩く」や「走る」と同じ動作や行動を表す「活動動詞」なので、勉強したことが習得できたかどうかは別にして、学校に行って授業を受けるとか、公式を暗記するなどという行動が伴う「学び」ということになります。
そして、「learn」は、時間をかけてきた勉強や練習、経験などの動作を積み重ねた「結果」として、「知識やスキルを身につけること」、または「習得すること」です。
例をあげると、「I studied English.」と「I learned English.」の違いで、「I studied English.」は単に英語を勉強したことがある、という状態を表し、「「I learned English」は英語を勉強したので話すことや読み書きができる、という状況を表すことになります。
多くの日本人は、英語を「study」したことがあっても、試験でしかその成果を発揮する場面がなく、「learn」するまで身についていないので、それを数学や物理と同じように知識として持ってはいても、日常生活で英語を使う場面がないことから次第に記憶が薄れるように忘れていってしまい、外国人に道を聞かれた時などいざという時には役に立たない、ということになっているのではないでしょうか。
日本人に英語が身につかない
せっかく何年も、イヤイヤながらも勉強してきたのに、それが役に立たないなんてもったいないとは思いますが、常に英語で会話をするという機会は多くの日本人にはないと思うので仕方がないですね。
でも、雑誌や新聞、テレビなどで頻繁に英単語が出てきても比較的違和感がなく、なんとなく理解ができてしまうのは、そこそこの英語力があるからなのだと思いますが、目や耳にするのはほとんどが名詞の、英単語であって、文章や会話ではないので英語力の底上げにはならないでしょうね。
日本語でも英語でも、それぞれの意味が持つニュアンスが違っていても、何かに関心を持ち、自分を向上させようとして勉強したり、学ぼうとする意欲を持ち、努力をするということはまさに「生きていく」「生きていこうとする」ことの象徴の一つで、「生きがい」にもつながります。
何年間という長い時間でなくても、一週間や一日、さらには1~2時間であっても、興味や関心、好奇心が湧いたら自己向上のために勉強したり学ぼうとしたりすることは、年齢に関係なく気持ちの問題として、エネルギッシュ=若さの状態でいられることになるので、いつまでも脳を活性化させておけることから、新たな興味や関心、好奇心が湧くことになり、それが「勉強」や「学び」につながるという好循環を生むことになります。
つまり、「勉強する」や「学ぶ」という意欲と努力を続けることで人生を豊かにすることができるのですね。
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