第97話 強い、弱いと強さ、弱さ

考え方が変われば生き方も変わります
悩むことで心を傷つけるより、頭を使って考え、違う生き方を試してみませんか

強いと弱い

強い、弱いというとまず頭に浮かぶのが力ですね。

力といっても権力や財力とかではなく、筋肉をベースにした力強さです。

あの人は強い、という表現には、単に重いものを持ちあげる筋肉や強靭な肉体などのパワーの強さだけではなく、スピードや技術などをプラスして1対1の格闘技などで相手を打ち負かす強さが感じられるということですね。

サッカーや野球などの団体戦では、勝つための要素としてさらにチームワークなどが加わったりします。

個人でもチームでも戦うのは相手で、具体的に目に見えていて、勝ちや負けもポイントやタイム、重さなどによって戦った者同士で順位がつけられるなど、勝った者が強い者だとすれば強い、弱いは明確で、結果に納得ができますね。

その意味では、強い=男性や大人、弱い=女性や子どもという固定概念が昔からありましたが、最近では一般の男性よりも力の強い女性アスリートが現れたりしていますから、一概にその図式は当てはまらないこともありますが、昔はそのような分野に女性が参加してこなかったからか、もしいたとしても知らなかったからだけかも知れません。

経験なども力になり、経験を積めば技術も向上するので、スポーツや将棋などのゲームでは大人のほうが子どもより強いのがこれまではあたりまえでしたが、最近では才能豊かな若い人たちが現れて、オリンピックでもさまざまな競技で大変に若い方たちがメダルを獲得したり、スポーツに限らず音楽などの文化面でもそれぞれのジャンルで若い方たちが活躍されるのを目にすることがありますので、強いことの要因に才能というのが大きく影響することが分かりますね。

筋肉的、肉体的に強い人は、その分野では戦っても負けることがないというイメージもあって、自信もあるかも知れませんが、本人にすればいつか強力なライバルが現れるかも知れないとか、いつか筋肉が衰えてしまうかも知れないという不安もあるのかも知れませんね。

強さと弱さ

一方で、似たような言葉の強さ、弱さとなると、評価の基準が変わってきます。

強さには筋肉など肉体面の強さに何かが加わるとか、精神面ほかの分野で状況の変化に動ずることなく、自分の意志を貫くなどのイメージが出てきますし、弱さとなると些細なことにも動揺して、自分を見失いがちな、という印象があり、向き合う相手は実際に存在して目に見える、というよりは状況であったり、試練や課題などのように姿が見えずに、自分自身で解決すべき困難さのような場合が多いのではないでしょうか。

困難な状況などに、勇気をもって立ち向かえる人は、それなりの経験や知識の裏付けがあり、場合によっては肉対面での自信もあって、精神的な強さを持っている人で、逆にひるんでしまって、しり込みして前に進めない人は精神的に弱さがある人ということになります。

こうなると、筋肉ベースでの強い=男性や大人、弱い=女性や子どもという概念は、強さや弱さには通じなくなり、男性や大人は必ずしもみんなが強さを持っているわけではなく、女性や子どもは必ずしも弱さだけを持っているわけではないことが理解できます。

さらに、守らなくてはらないものができてくると、守るためには強さを発揮するのですが、それが優先されてほかの面では自分勝手な行動ができなくなり、姿勢も守りとなり、結果的には周りの人たちに弱さと映るかも知れませんし、逆に守らなくてはならないものがなくなると、行動を規制する条件が取り払われて自分勝手に、思いのままに行動できることになるので、その意味では強くなりますね。

また、過去のできごとを引きずってしまい、ものごとに前向きになれないような状況になっていると、やはり弱さとなってしまうかも知れません。過去のできごとといえば恋愛などの場合で、別れた相手にいつまでも未練を持っているというケースがありますが、それは男性に多いような傾向がみられる気がします。

歌謡曲の歌詞などで、女性がいつまでも男性のことを忘れないというような内容のものが多く聞かれますが、それは男性の作詞家が書いたり、女性の未練というのが男性のあこがれや願望なのがわかっているから喜ばせようとして書いたものと考えられ、実際は未練がましいのは男性で、女性は意外とさっぱりしているような気がします。だとすると精神的には男性は弱く、女性は強いという傾向があることになりますね。

優しさは強さ

困難な状況や思いもかけない難しい問題が起こった時の対応で、強いと言われる人の振る舞いはどのようなものでしょうか。

強い人、頼りになる人と周りから、どんな状況に対しても適切に対応できると評価されている人は、起こっている状況を柔軟に受け入れ、的確に分析し、取るべき対応策をさまざまに考えることができ、そのなかから最適なやり方で対応できて事態を収拾できる人なのでしょう。

人間関係でいえば、いろいろな人の話しの内容や行動を理解して受けとめて、相手の立場を理解し、すべてを許していたわりの気持ちを持って、自身の喜怒哀楽などの感情を出さずに穏やかに接することができる人は周りから高い評価を受けることになります。

寛容で包容力があり、許容力があり、相手の立場の尊厳を守りつつ、周囲の人とのバランスを取りながら、良好な関係を維持でき、優しさのある人は自身を状況によって変えることがなく、信念を持ちながら自分を貫ける柔軟な対応ができる人、強い人ということができます。

逆に、現実に起こっていることを受け入れることができず、自分の立場が弱くなったのは他人(ひと)や世の中のせいだと責任転嫁や言い逃れ、現実逃避をし、あげくの果てには、現実と願望とのギャップを受け入れることができずに憂さ晴らし的に他人(ひと)をばかにしたり、ののしったり人は弱い人という評価になってしまいます。

規則やルールを犯す人は、多くの人に与えられている条件をクリアできないわけですから強い人とは言えないですね。

自分は強い、弱い?

多くの場合、精神的な強さがあるから強くなれたり、強いという自信が強さを生むのかも知れないし、精神的な弱さが原因で強くなれなかったり、弱いというひけめが原因で自信が持てないのかも知れないので、自分が強いのか、弱いのかは他人(ひと)と比べるのではなく、自分自身を客観的に見つめて判断をしたらいいのではないかと思います。

ただ漠然と、全体的に自分は弱いと判断するのではなく、いろいろな角度から自分を見つめ、この面では弱い、ここは強いかも知れないとか細かく分析すると、自分を正しく理解でき、強い、弱いの判断も的確なものとなり、強いところは伸ばせばいいし、弱いところは補えばいいということになり、全体的に誰から見ても強く映る必要はないかも知れませんね。

何事にも動じず、力もあっていろいろなことができる強い人にはあこがれるし、予期しないできごとに接すると動揺してしまい、力も才能もなくて何もできない弱い人にはなりたくはないのですが、現実的にはそうそう強い人になることは難しいことだと分かっているものの、自分のなかの弱さと向き合いながらできる範囲で、役に立つことができる分野で、少しでも誰かの力になりたいと願っています。

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