第75話 英語を話す

考え方が変われば生き方も変わります
悩むことで心を傷つけるより、頭を使って考え、違う生き方を試してみませんか

英語が話せない

私は英語をじょうずに話すことができません。

中学校から英語を習い始め、途中の予備校を入れれば11年間も英語を勉強し、成績もそれほど悪くはなく、シンガポールに5年間も駐在をしたにもかかわらず、上手に英語を話すことができません。

シンガポールでは、日常会話程度であれば特段支障はなかったのですが、ビジネスの場面、とりわけ会議などでは、必ず議事録が作られ、言った、言わないという議論にもなるので、誤解のないように慎重に必ず通訳をつけていました。

文章や手紙、FAXなどは読むことができ、さまざまな文章や文書を、もちろん辞書を片手にですが、書くことができました。

「話す」英語教育

現地のスタッフ達からは、それだけ英語ができるのになぜ話せないのか、と不思議がられましたが、私は「話す英語は習ってこなかったから」と答えていたものの、それでも不思議と、英語を話している時には大人っぽくなった気分が味わえ、日本語を話している時には子供っぽく感じたものでした。

日本企業だったので、一緒に働く現地のスタッフには、希望をすれば日本語学校に行くことを支援したのですが、彼らは一年も通えば日常会話くらいの日本語が話せるようになりました。

彼らが、特別に頭がいいとか、現地の日本語学校の教え方がうまいとかは考えにくいので、違いがあるとすれば外国語に対する意識の違いだと思います。

よく、二か国語が話せるバイリンガルの方は、三か国語目は比較的早く習得できるといいますから、取り組み方に何かコツがあるのでしょうね。

それでも、私はおしゃべりな方なので、他人(ひと)と話すのはそれほど苦にはなりませんが、この「話したい」という欲求は、「食べたい」というのと同じくらい強い欲求であることが、シンガポールで分かりました。

言葉が通じなくても、何かをするためには相手に分かってもらう必要があり、話さざるを得ない状況で、飲み食いだけでなく、仕事でも多くの現地スタッフと一緒に働いていたので、黙っているわけにはいかなかったのです。

羞恥心との戦い

そこで感じたのは、日本人は羞恥心が強く、英語がうまく話せないと笑われるのではないか、という心配がまずあるから、英語を話すことをためらってしまうのではないか、ということです。

周りに英語を話せる知人がいたら、なおのことその傾向は強く、その人に笑われるから英語を話さずに、その人に任せっきりになると思うのですが、職場にはほかに日本人がいなかったので仕方なく英語を話す努力をしました。

日本人にとって英語を話すことは羞恥心との戦いだと思いました。

日本人は、義務教育から英語を学んでいるので、単語はよく知っているし、とくに名詞はたくさんの単語を知っていますが、動詞は少し苦手で、副詞や形容詞はさらに苦手な傾向にあるのは私だけでしょうか。

ただ、シンガポールでの日常会話で使う動詞の多くは、do、have、take、makeなどを駆使すれば何とかなり、あとは対象の名詞をつければなんとなく相手に分かってもらえるというレベルから始めて、次第に英会話に馴染んでいき、徐々に上達していく、という感じでした。

英語を話すポイント

英語を話すポイントは、「発音」「アクセント」「イントネーション・抑揚」「文法」「的確な単語・表現・文章」などがあると思いますが、私の経験では重要な順番でいうと「アクセント」「イントネーション・抑揚」「発音」「的確な単語・表現・文章」「文法」となると思います。

「発音」は、「RとL」の区別など多少上手にできなくても相手に伝わりますが、単語ごとの「アクセント」が違うと伝わりにくい印象だったし、「イントネーション・抑揚」はたとえば、疑問や確認の時には文末を上げ調子で話す、というようなことですが、表情豊かにハッキリ話すということは英会話ではとても大切なポイントです。

最近の若い人が話すのを聞いていると、わざと比較的フラットに話しているようですが、この話し方で英語を話すと、通じることが難しくなると思います。

「的確な単語・表現・文章」は、たとえ言おうとする意味の単語が分からなくても、言いたいことを言いまわすことで相手が、言いたいことはこういうことか、と聞いてくれるので、そこで通じ合うことができました。

そんな経験を経て、日常生活にはどうにか困らなくなるようにはなりましたが、日本に帰ってきてからは、英語を話す機会はほぼなくなったので、また英語がうまく話せなくなりました。

英語は氾濫しているのに

日本では、英語を勉強はしても、実際に使う機会がないので単なる知識どまりになってしまい、技能や技術として役立たせる機会がないために話したり、読んだり、書いたりといったスキルとして上達しない環境なのです。

日本も労働人口減少傾向にあり、人手不足を外国人労働者に頼らざるを得ない現実があるわけですから、彼らに日本語を学ぶことを求めるならば、企業側など雇用する側も自分たちが英語を話せるようになる努力をすべきだと思うし、英語が話せれば、的確な業務指導もできるし、彼らの悩み相談にも対応することができ、お互いにメリットが生まれることでしょう。

いまやコンピュータ関連やゲームなどに限らず、日常のありとあらゆるところで英語が氾濫し、英語を見聞きしない日はないくらいですから、あとは英語で会話をするだけです。

日本には観光を含めて、多くの英語を話す外国人が来られ、職場や近隣でも外国の方を多く見かけるようになったので、日本人が流暢に英語を話せるようになれば、もっと日本の経済は発展するだろうし、それはともかくとしても、日本人の多くの方は優しくて、親切で、キャラクターがよく、話しも面白く、いろいろなことを知っているので、きっと外国人の間でも人気者になる可能性が高いと思います。

英語を話せると

余談ですが、私の友人で、英語で落語をやっている女性がいます。日本語でも落語を話すのは難しいと思うのですが、古典落語を英訳して高座で披露していて、お客様は半分くらいが外国人の方で、よく笑っているところを見ると、笑いのツボは世界共通なのかな、と感じます。

日本語には、漢字以外にひらがなやカタカナがあって、文字を書くのに比較的簡単な方法がありますが、中国や韓国では、想像ですが、母国語を書くのは面倒で、いっそ英語で書いた方が簡単なので、日本よりも英語が浸透しているのではないかと思っています。とくに、中国語の発音は英語に近い気がして、馴染みやすいのではないか、とも想像しています。

英語を話せるということは、大ざっぱに言えば、世界の人たちと話しができることになり、それだけ世界の方たちと知り合うことができ、さまざまなことを日本と比較したり、知らなかったことも分かるようになることで見識も広めることができます。

企業によっては、社内での会話は英語だけにする、という取り決めがあるとも聞かれるのはそうした理由からでしょう。

数学や物理が得意な方でも、なかなかそれを披露する場面はありませんが、英語を話すことが得意で、街のなかなどで外国人と話している姿を披露できれば、周りからはカッコいい、という評価が得られることは間違いありませんから、英語は話せないよりは話せた方がいいでしょう。

あまりじょうずではなかったのですが、時々英語を話したくなる時があります。

でも最近は、自動翻訳機も手軽に手に入ることでもあるし・・・。

羽澤 幸成

学生時代の県人会幹事長として、のちに大活躍される国会、県会、市会の議員の方や役所の方、趣味の音楽活動を通じて芸能の世界で生きている方など多くの人たちに接し、社会人になってから海外進出など多くのプロジェクトを軌道に乗せ、その分野の専門の方たちとも知り合い、いくつかの新しいことにもチャレンジして、早期退職後の企業信用調査の仕事では、それまでの大きな会社の人たちとは違う中小企業や個人事業の方たちとお会いし、いまは地域コミュニティ活動を通じて地域の方たちと交流活動をしています。
それらのキャリアを通じて、たくさんの経験をし、外国の方も含め多くの人たちに出会い、楽しいことばかりでなく、いやな思いもたびたびして、いろいろなことを学びました。
それぞれの世界で、多くの人たちが作る人間模様のなかで、うまくいっている人やそうでない人もいて、能力以外に考え方が違うのだ、と感じました。
人それぞれ考え方が違うので、当然に生き方も異なり、一緒に仕事や生活をしながら、なぜ、そうするのかを考えることの繰り返しで対応しながらも、自分の信念は曲げずに生きてきたので、心を痛めて悩んでいる人に、こうは考えられないかな、と頭を使って苦境を打開するキッカケになってくれればと思っています。

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