第106話 大切と大事

考え方が変われば生き方も変わります
悩むことで心を傷つけるより、頭を使って考え、違う生き方を試してみませんか

大切と大事

「大切」や「大事」に「もの」や「こと」という言葉をつけると「大切なもの、大切なこと」「大事なもの、大事なこと」となりますが、誰にとっても「大切なもの、大切なこと」や「大事なもの、大事なこと」がありますね。

他のものには代えることができないほど重要で、なによりも最優先で守らなければならない「もの」や「こと」になりますが、「大切」と「大事」という言葉の違いは、と言われても説明が難しいですが二つの言葉があるということは、ニュアンス程度でも少しは違いがあるのでしょうね。

次に、「さ」という程度を表す形容詞をつけて名詞化すると「大切さ」「大事さ」となりますが、「大事さ」という言い方には少し違和感を覚えますね。

大切なもの、大事なもの

一般的に「大切」「大事」だと思われているもの、「健康」「お金」「経験」「人間関係」「友達」などに付けて修飾語として使い、そのニュアンスを考えてみると「健康は大切だ、健康は大事だ」「お金は大切だ、お金は大事だ」「経験は大切だ、経験は大事だ」「人間関係は大切だ、人間関係は大事だ」「友達は大切だ、友達は大事だ」となります。

「健康」の場合、「健康は大切だ」という言い方はあまりしないような気がするし、あえて言うならば「健康でいることは大切だ」とか「命は大切だ」のような言い方になると思うし、「健康は大事だ」という言い方は、健康でいることは何事にも代えがたいので健康でいられるように自己管理に努めなくてはいけない、という意味になると思います。

「お金」の場合は、「お金は大切だ」というと、お金は手に入れることが難しく、いろいろなものに遣えるので無駄のないようにしなくてはいけない、という意味のような気がするし、「お金は大事だ」というと、同じようにお金は手に入れるのが難しいので、なくしたり盗られないようにきちんと保管・管理をしておかなければいけないという意味のような気がします。

「経験」の場合は、「経験は大切だ」というと、やってきた苦労や思い出とともに経験が生き方の術となっているような気がするし、「経験は大事だ」というと、やってきた実績を事実として人生のいしずえを築いているような気がします。

「人間関係」の場合は、「人間関係は大切だ」というと、いろいろな人たちとの交流を積み重ねて人生経験を豊かにする、という意味のような気がするし、「人間関係は大事だ」の場合は、大事と思っている関係は損なわれないように言葉や振る舞いに気をつけなければいけない、という意味のような気がします。

「友達」はどうでしょう。「友達は大切だ」というと、信頼できる友達がいると心強いし、何かの時には支えてもらえるので自分のできることの可能性が広がることになりますが、その意味では「友達は大事だ」というより「友達は大事にしろ」という言い方の方が多い気がします。

「大切な人」と「大事な人」という表現で友人など周りの人を思い浮かぶ人を考えると、「大切」と「大事」の意味合いが少し理解できるかもしれません。

また、「もの」に限定して「大切」と「大事」を考えてみると、それほど差はないものの、ニュアンスとして次のような印象があります。

「父の形見の腕時計を大切にする」というと、腕時計を壊れたりしないように気をつけて実際に身に着けて使い、父親と同じ体験をして父親の思い出を偲ぶという感じではないかと思うし、「父の形見の腕時計を大事にする」というと、父親が大事にしていた腕時計を使わないで、壊れないように父親の形見の品として保管をしておく、という感じではないかと思います。

その意味では、「大切なものを大事にする」とはいいますが、「大事なものを大切にする」とはああまり言わないのではないでしょうか。

大切と大事の違い

そう考えると「大切」には気持ちというか感情的な要素が強く、「大事」には行動の規制のような要素が強い印象を受けます。

同じような意味を持つ言葉に「重要」がありますが、「重要」は「大切」「大事」よりも格式張っている感じで、おもには文章などで使用する場面が多いようで、口語向きではないと思われます。

これまで挙げた例えからだけでは「大切」と「大事」の意味や使い方について、断定的に一概には言えませんが、印象としては「大切なもの、大切なこと」というのは概念的や考え方のような感じで、そのものの影響が自分に密接しているような気がします。

同じように印象として「大事なもの、大事なこと」というと、論理や仕組みの肝となるようなことで、「もの」などのように具体的に取り扱えるような感じがし、それがなにかと比較してスケールが大きい、というような気がします。

とはいえ、どちらも主観的な価値基準であることは間違いがなく、あることやものを大切だ、大事だ、と思うようになったのはその人なりの経験や生い立ち、教育などが大きくかかわっているためだと思われるので、それらを否定されたり、悪く言われるということはその人のこれまでの人生を否定したり、認めないということにもつながるので、その人と長くお付き合いするためには、同じようにそれらを尊重する必要があります。

何を大切、大事と思うか

そのため何を大切や大事にしているかを理解することは、その人の考え方や行動を理解する手掛かりになります。

また、それらは考え方や振る舞いの根幹となっていて、価値基準や行動判断のベースの役割を果たしているので、それらがコロコロと変わるようではすべてに一貫性を果たすことができずに、周りの人から見ても違和感を持たれてしまいかねませんので、いったん大切なものや大事なものと判断したり思い至ったりすると、それを代えることは難しいです。

いずれにしても自分が大切や大事にしているものは、失ったり、傷つけたり、壊したりすることがないように守っていかなければならないし、逆に、ほかの人が大切や大事にしているものを傷つけたり、悪く言ったりするなどして攻撃的な振る舞いをしてはいけません。

自分がそうされた時のことを想像すれば、その理由は容易に理解できるし、ほかの人が大切や大事にしているものやその理由は理解できないことが多いので。安易にそれらを否定することは避けなければなりません。

多くの人たちが「大切だ」「大事だ」と思うものに何があげられるでしょう。

おもなものは、健康、お金、時間、両親・家族、人間関係、信用、容姿、世間体、清潔さ、責任感、使命感、誠実さ、意思、決断、愛情、正義感、効率、安定、挑戦、変化、自発性、自由、社会貢献、教育、道徳、経験、技術などでしょうか。

このブログの『第7話「価値観」は「人生観」』で書きましたが、末永くお付き合いをしていくためには、それぞれが大切や大事にしているものが違っていても、優先順位をつけて、上位5つ、6つぐらいが同じである必要があると思います。

例えば、時間を大切にしている人は時間にルーズな人とはうまくいかないし、几帳面で清潔好きな人はだらしない人の振る舞いは我慢することが難しいし、アウトドアが好きな人は室内で過ごすことが好きな人とは時間の使い方が違って喜びを共有できないし、食べ歩きが好きな人は食べることに興味がない人とは話も合わずに、親しくなるのはいずれ難しくなるでしょう。

自分が上位として大切や大事にしているものを相手がそれを軽んじていたり、理解できないために悪く言ったりするのをいつも聞いているようでは、心に不満がたまる一方で、いずれは爆発してしまうでしょう。

「大切なもの」や「大事なもの」がほとんど一緒の人とのお付き合いは、おそらく話題も円滑で、話しの内容も共感が得られ、関連の話題でも盛り上がり、参考になる部分も多くあって有益なものになることでしょう。

人とのお付き合いは、誠実さなどの人柄も大事ですが、価値観が似ているということも大切です。

羽澤 幸成

学生時代の県人会幹事長として、のちに大活躍される国会、県会、市会の議員の方や役所の方、趣味の音楽活動を通じて芸能の世界で生きている方など多くの人たちに接し、社会人になってから海外進出など多くのプロジェクトを軌道に乗せ、その分野の専門の方たちとも知り合い、いくつかの新しいことにもチャレンジして、早期退職後の企業信用調査の仕事では、それまでの大きな会社の人たちとは違う中小企業や個人事業の方たちとお会いし、いまは地域コミュニティ活動を通じて地域の方たちと交流活動をしています。
それらのキャリアを通じて、たくさんの経験をし、外国の方も含め多くの人たちに出会い、楽しいことばかりでなく、いやな思いもたびたびして、いろいろなことを学びました。
それぞれの世界で、多くの人たちが作る人間模様のなかで、うまくいっている人やそうでない人もいて、能力以外に考え方が違うのだ、と感じました。
人それぞれ考え方が違うので、当然に生き方も異なり、一緒に仕事や生活をしながら、なぜ、そうするのかを考えることの繰り返しで対応しながらも、自分の信念は曲げずに生きてきたので、心を痛めて悩んでいる人に、こうは考えられないかな、と頭を使って苦境を打開するキッカケになってくれればと思っています。

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生き方の考え方

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