第85話 日常

考え方が変われば生き方も変わります
悩むことで心を傷つけるより、頭を使って考え、違う生き方を試してみませんか

日常と非日常

「日常」という言葉は、それこそ日常的に使いますが、「日常」というのはどういう意味、どのような状態なのでしょうか。

「日常」と対比される言葉に「非日常」がありますが、この違いは何で、どうしてそのような状況を感じるのでしょうか。

辞書などによると「日常」というのは、つねひごろ、とかふだん、とか平生(へいぜい)という説明があり、つまり「いつもと変わらないこと」という意味が近いようです。

「日常」の付く言葉に、日常生活、日常茶飯事、日常会話、日常体験、日常業務、日常性などがあり、それらの言葉の意味からも「日常」というのは「いつもと変わらない」状態を表しているようですね。

いつもと変わらないとは

しかし、たとえどんなに時間が経っても何も、どこも変わらないというものは世の中にあり得ないわけですから、変わらないと思っているのは変化の幅が小さいとか、これまでの生活に影響がないということであれば気がつかないし、気にもならないので「いつもと変わらない」と感じるかも知れません。

しかし、一日単位で考えてみても昨日と同じ今日、というのはあり得ないわけで、今日は昨日とはきっと何かが違いますよね。

ということは、一日を過ごして小さな変化があったり、ちょっとした出来事が起こるのはあたりまえのことで、それらに気がついたり、うまく対応していくというのは「いつものこと」の範ちゅうに入る行為ということになりますね。

自分だけでなく、身近な人にとって一日のうちに特別なことが起こらなかったり、昨日やいつもとあまり大きな変化や差がないこと、いつもと同じ場所で寝て起きて、いつもと同じ行動範囲で一日を過ごすことができ、その日のうちによほどの大きなできごとでも起こらない限りは「日常」と言えるかもしれませんね。

非日常とは

そうではなくて、国内旅行や海外旅行に出て、いつもと違う場所で寝て起きて、いつもと違う景色を見たり、その中で時間を過ごせば、その日のうちに特別なできごとが起こらなくてもそれは「非日常」ということになるのかも知れません。

大きな災害や戦争などによる「非日常」はまったく望まないけれど、気分転換のための自発的な行為、旅行だけでなくコンサートに行ったり絵画などを観覧するなどのような「非日常」の体験というのは、人生のアクセント的な効果を生むことになるかも知れませんね。

日常の変化

「日常」も大きく変化することがあり、その変わり目にはセレモニーを伴うことが多いです。入学式、卒業式、成人式、入社式、結婚式などなどです。

学校の入学や卒業、入社して会社勤め、結婚、子どもができる、子どもの成長、定年などでは、それらの前とあとでは日常生活が大きく違いますが、新しい日常生活もはじまってしまえばそれが「日常」になります。

セレモニーを伴うような大きな変化でなくても、友達ができたり、欲しいものが手に入ったりすれば、逆に失恋したり大切なものを失くしたりすれば、そこから新しい「日常」が始まることになります。

今日突然に昨日と違ったことが起きて、昨日とまったく生活が変化しても、明日からそれが続けば、それが新しい「日常」となっていきます。

なにも起こらないことが「日常」、という意味合いとは少し違いますね。

唐の詩人 劉希夷の詩にもあるように「年年歳歳花相似 歳歳年年人不同(ねんねんさいさい 花あいにたり さいさいねんねん 人同じからず)」と昔から言われていて、「草木は毎年変わらず美しい花を咲かせているが、その花を見ている人は歳をとるごとに変わってしまい、いつまでも昔のままではいられない」として、ここでは人間のはかなさを読んだ句ともいわれていますが、自分を含め周りに人たちや状況が変わっていくことに気がつき、その変化に対する思いは必ずしも、はかなさだけとは限らない気がします。

日常への思い

自分や身近な人にとって、いつもと変わらずに穏やかに過ごせる日々というのは、若い頃は退屈だと思った気がしないではありませんが、ある年齢になると、とても大切だと思えるようになるから不思議ですね。

変化に対応する気力がなくなった、というのもあるかも知れませんが、むしろ、何も起きて欲しくない、大きな変化は望まない、いつものとおりがいいと思うようになってきました。

とはいえ、意図的に新しい「日常」を始めたいのであれば、何か習いごとをするとか、新しい趣味を持つとか、どこかのサークルに参加するなどの方法も考えられるし、旅行などの非日常体験ほどでもなく、日常生活のアクセント程度であれば、気になっているお店への外食とか昔の友人と会って昔ばなしなどをして当時を思い出すとかして脳を活性化させると、「日常」生活のありがたさも分かり、納得ができるかも知れないので、自分の人生ですから、生きがいを感じたいのであれば日々の過ごし方を自分でデザインすることも必要なことでしょう。

生活環境を変えると、いつもと違う生き方をすることになるので、気分転換になったり、いつもと違う自分を感じたり、味わうことができたりして、またいつもの日常の生活に戻ったときに納得性があるというか、落ち着きを感じるかも知れませんね。

「日常」の意味は、人それぞれで違うので、置かれている環境のなかで、状況に流されるように生きるより、維持できるように務めたり、意図して自発的に変化を付けたりして自分自身で作り、感じるものなのでしょうね。

羽澤 幸成

学生時代の県人会幹事長として、のちに大活躍される国会、県会、市会の議員の方や役所の方、趣味の音楽活動を通じて芸能の世界で生きている方など多くの人たちに接し、社会人になってから海外進出など多くのプロジェクトを軌道に乗せ、その分野の専門の方たちとも知り合い、いくつかの新しいことにもチャレンジして、早期退職後の企業信用調査の仕事では、それまでの大きな会社の人たちとは違う中小企業や個人事業の方たちとお会いし、いまは地域コミュニティ活動を通じて地域の方たちと交流活動をしています。
それらのキャリアを通じて、たくさんの経験をし、外国の方も含め多くの人たちに出会い、楽しいことばかりでなく、いやな思いもたびたびして、いろいろなことを学びました。
それぞれの世界で、多くの人たちが作る人間模様のなかで、うまくいっている人やそうでない人もいて、能力以外に考え方が違うのだ、と感じました。
人それぞれ考え方が違うので、当然に生き方も異なり、一緒に仕事や生活をしながら、なぜ、そうするのかを考えることの繰り返しで対応しながらも、自分の信念は曲げずに生きてきたので、心を痛めて悩んでいる人に、こうは考えられないかな、と頭を使って苦境を打開するキッカケになってくれればと思っています。

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生き方の考え方

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