第92話 視界と視野

考え方が変われば生き方も変わります
悩むことで心を傷つけるより、頭を使って考え、違う生き方を試してみませんか

見える範囲

見える範囲を表す言葉に「視界」と「視野」があります。

どちらも、ふだんの会話ではあまり意識して使い分けてはいないのですが、よく考えると深い意味がありそうですね。

「視界」は、眼を開いていて、あちらこちらを見て、いま見える範囲のことを表現するときに使う気がします。

「視野」は、まっすぐ前を見て、顔を動かさずに、おもに前方の見渡せる範囲のことを表現するときに使う気がします。

いずれも、状況は多少違っていても“見える範囲”であることには変わりがないようですが、見える対象物は、近くにあるものは遠くにあるものよりもはっきり見えるし、見ようとする場所が明るければ、暗い時よりも分かりやすく見えるし、見ている場所が高いところであれば、より広い範囲を見渡すことができるし、なによりも見える範囲が見やすいのは障害物がないに越したことはありませんし、障害物があってはその後ろを見ることは難しいです。

また、実際に見ることができる範囲と、脳を働かせて見ている範囲とは当然に違うのでしょうね。また、見ようとすれば見えるのに、見ようとしないから見えない、という状況もありますね。さらには、見えているのに見えていないふり、いわゆる見て見ぬふり、という振る舞いもありますね。

また、「見る」という行為に欠かせないのが「視力」ですね。

見ているところにモノがあるのか、ないのか、あるとすればどんなカタチのものがあるのかを知ったり、文字などを見たり、読んだりするときに、それらを正確に知るためには適切な「視力」が必要になりますが、「視力」が弱い場合にはメガネやコンタクトレンズで補うこともできます。

「百聞は一見にしかず」というように、そこにあるものや起こっていることを正しく見て、その状況を自分なりに理解し、そして正しい判断のベースにすることがその先を見通すためには大切なことですね。

厳密に、正しく「視界」と「視野」を使い分けるとしたら違いを、どう理解すればいいのでしょうか。

視界

ここでは「視界」を、顔などを動かして見ようと思えば見える物理的な範囲ではなく、意識して、注意深く見渡して見える範囲ととらえてみます。

後ろの状況を知るためには、身体を半回転させなければいけません。

そうなると、「視界」を広げて現在の状況を的確に知るためには、顔や眼を可能な範囲で動かし、そしてできるだけ明るい状況にする、障害物を除去する、など様々な工夫をしなければなりませんし、見続ける集中力と持続力も必要で、「視界」とはそのような努力をして見ようと意識して見える範囲となりますね。

そんなことから、「視界」は例えに使用される場合、いま現在の置かれている状況を分析して対応するときの可能性の範囲を表すことが多いですね。

一番身近な状況が車の運転をしている時ですね。

「視界」を広げて、刻々と変わっていく周囲の状況を正しく把握し、それらに的確に対応した運転をする必要があります。「視界」を左右するものにはお天気や昼夜もありますが、ポイントはスピードでしょう。本人の視力や動体視力も影響されますが、スピードを上げればそれに比例して「視界」は狭くなります。また、「視界」を広げることと“わき見運転”は違います。

安全運転に良好な「視界」は絶対条件ですね。安全運転を心がけながら、余裕を持って周りの景色を適度に楽しむこともドライブの醍醐味でしょう。

「視界」は見ている人の「視点」「視座」によっても異なります。会社で例えれば、社長と従業員とでは立場、「視点」「視座」が違うので、同じ社内を見渡しても見ている方向や角度、範囲が違うので受ける印象も異なりますから、状況を正しく理解するには立場、「視点」「視座」が自分のものか、誰かの立場、「視点」「視座」で見ているのかの条件を知らなければいけません。

同じように見ている状況に対する対応の違いは「視点」「視座」、つまり“目のつけ所”とういか、ここが大切だ、ここが問題だとして関心を持つポイント、果たすべき役割が違うからで、見えていて、目の前で起きている状況に対する対応の動機となるポイントは「視点」「視座」の違いということになり、立場によって、見えている状況は同じでもそれに対する考え方は違いますし、その対応によって立場とのバランスで人物評価に結びつくことになります。

視野

一方、「視野」はまっすぐ前を見て、眼の前に広がる範囲、というイメージなので、カメラや望遠鏡などの写る、見える範囲にも使われ、「視野」の妨げになるのは、障害物や暗さが一番ですが、霧など対象物を見えにくくするものもあります。

周囲はともかく、目の前の見える範囲を見ることになるので、場合によっては凝視することもあり、見る対象物にできるだけ近づいて、よりはっきりと見る、というのも対象物を的確に理解するのに必要な方法となる場合もありますね。

そんなことから、「視野」は例えに使用される場合、将来に対する考え方を言い表すことが多いですね。顔を動かさないのですから、後ろの状況を知ることはできません。

そして障害となるものに、偏見や思い込み、雑念や邪念、身勝手な願望などです。いまいる状況から冷静に、幅広い見識を持って、客観的に先を見通すというスタンスが前提でないと、実際に訪れる未来を的確に予測することは難しいでしょう。

そんな「視界」と「視野」を正しく理解したうえで、世の中を見渡して「見る」という観点からいろいろと考えてみたいと思いますが、いずれも“ものの見方”、“どうやったらより見やすくなるかの工夫”がポイントであることは共通です。

自分はいま、何をしなければいけないのか、これから先をどのように生きていこうとするのかを考えるにはまず、自分のいま置かれている状況を正しく理解する必要がありますが、そのためには「視界」を広くして、自分の身の廻りを見渡し、なにがどうなっているのか、どんな人たちがいて自分に対してどのような態度なのかなどを的確に知らなければいけません。

顔や眼だけでなく、身体も動かしてみることができる範囲を広げて、いま現在の状況を知ることは、いまやこれからになすべきことを考える条件になりますので、できるだけたくさんの景色、状況を見て、知って、それらをどう判断するかでいま自分が置かれている状況を判断できることになります。

自分がいま現在置かれている状況を的確に理解できれば、それをベースにして、これから先にしなければならないことややってみたいことが明確に見えてきます。

そして、これからどう生きるかは「視野」になりますが、まずは近くのものがはっきりと見えているかです。時間でいえば今日に始まり一週間程度先までの生き方が明確かどうかです。将来はその先になるので、近くのものがはっきりと見えていないとその先は見えにくくなり、また見えないまま先へ進んだり、慌てたり焦ったりで思わず急いだりすると足元の石につまづいたりすることもあります。

次に、どのくらい先の「視野」が鮮明になっているかです。できるだけ遠くを見通すには「視力」、つまり「意志」が必要となります。

先が暗くてよく見えないのなら、明るくしなければなりませんが、その方法は自分の努力だけでなく、信頼できる人からのアドバイスも有効かもしれません。

霧などがかかってよく見えない場合などは、霧が晴れるまで時間を置くというのも方法です。

障害物などがあって先が見えない場合には、まず障害物を取り除かなくてはいけません。先へ進もうとする努力と障害物を取り除く努力は、もしかしたら別のエネルギーが必要になるかもしれないので、できたら障害物を取り除く作業をさきにできたらいいですね。

鮮明な「視野」、強い「意志」で自分の望む方向を見定めて、実現可能性を信じてまっすぐ前に、自分に合ったスピードで進むことができると「希望」という明るい光が差します。

日々の生活でもあくせくと、あわただしく時を刻んでいたり、あわてていたり、ほかのことに気がいっていて集中できていない時など、見えているはずなのに目に入らない状況になりがちで、身の回りで起こっているいいことやためになること、他人(ひと)の親切などにも気がつかず、視野を狭めてしまいかねません。

自分にとって適切な速度で、身の回りに気を配りながら、起こっている様々なことに気がつけるようなコンデションで、見ている景色をどう理解するかは、正しい、自分に合った「視点」で見ているかの確認と、それを判断できる「能力」にかかっていて、そのうえで進むべき方向、速度を決めて歩いていくには強い「意志」が必要になりますね。

必要な「能力」は、見えたものがそれがなになのか、どうなっているのかの理解力と、それらの状況からこれから起こることを予測する洞察力、そして予測される事態に備えたり、事前準備などの調整力です。

思いどおりに前に進むことができるかは、目に見えない「運」も影響するかも知れませんが、強い「意志」があれば前に進むことはできます。

「意志」はエンジンです。

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