
守るべきもの
この世のなかで生きていたり、生活していくためには守らなければいけないものにルールや規則があります。社会やグループなどで決められていて、守ることが前提になっているので、そのなかで暮らしたり、参加する場合には守らなければいけません。
それらが守られている状態を秩序といいます。
つまり、それらを守らない人を許すとその社会やグループ内の秩序が守れなくなるので、全員がルールや規則を知り、守らなければならないのです。
守ることで生まれるもの
秩序が守られないと混乱や不安が生じ、社会やグループが効率的に力を発揮するために内部統率にエネルギーを使わなければならず、機能が十分に発揮されずに所期の目標を達成しにくくなり、参加者が達成感や満足感を得ることが難しくなります。
それがたとえ夫婦や家族という最小単位の社会であっても、守らなければならないルールや決まりがあって、秩序が保たれています。
夫婦の場合、出身地や生い立ち、家庭環境、それまで過ごしてきた人生が異なり、価値観が違う二人が結婚して同じ屋根の下で暮らすわけですから、それまでのお互いの生活習慣の違いから違和感を覚えることは当然に多々ありますが、それらを乗り越えて二人の新しい習慣というかルールが築かれ、日々の生活のなかでお互いが納得しながら変えていき、快適な生活をしていきます。
いわゆる国際結婚をされている方たちは、お互いを理解し合うために埋めなければならないギャップというものは相当なものではないかと想像しますし、お互いの出身国の悪口を言わないなどのエチケットも必要になるかも知れませんね。もっとも、お互いの親や兄弟のことを悪く言われるといい気分がしないのと同じ気持ちからでしょう。
学校や会社では、構成する各人のそれまでの人生の違いなどが考慮される場面はあまりなく、全体として秩序を守るための全員に適用される上位のルールや規則があり、その内容が厳しかったりゆるかったり、細かかったり大ざっぱだったりして校風や社風を形成することになります。
所属するまたは参加しようとするグループの決まりごとが性に合わなかったり、気に入らなければそのグループに参加しなければいいだけのことですが、社会のルールとなると、個人の事情や考え方よりも一般の方たちの都合が優先されるでしょうね。
規則は、決められている社会やグループのなかでは、守らなければ罰せられます。
してはいけないことをするわけで、秩序や治安を乱すことになるのですから罰せられるのは当然で、規則を守らないということは程度により重大な過失や犯罪となりますが、それは守らなかったことが発覚した場合で、発覚しなければ守っていなくても罪にはならず、罰せられることはありません。例えば、車の運転などで制限速度をオーバーしてもおまわりさんに取り締まられなければ罪になることはないということですが、だからといって危険を伴うので制限速度は守らなければいけません。
また、交通規則は車を運転する人だけでなく、歩行者でさえも事故につながることもあるので守らなくていけません。お互いの安全のため、ということもありますがひとたび事故が起これば多くの方にも悲しみや迷惑が及ぶことになるからです。
規則やルールを守れる人は、状況に柔軟に対応できる人で、自分の望まない状況になってもそれらを守りながらうまく対応することで、自分自身を安定した環境に置くことができる能力のある人ということになります。
スポーツなどでの剣道や柔道、卓球、体操などの個人競技ではなく、サッカーや野球などの団体競技の場合には、個人やチームの技術面とそれを支え、効率的にするチームごとの秩序もチームワークとなり、相手を打ち負かすためには威力を発揮することになるでしょう。
形式的な取り決めと非形式的なしばり
法律で決められていたり、文書などで取り決められている規則やルールを形式的だとすると、そうではない非形式なものにルールよりもゆるいしばりとしてマナーやモラル、エチケットがあります。
モラルは道徳で、これがほかの人たちと違っていたり欠けていると、人としての人格や教養が問われることになります。
マナーやエチケットは態度や礼儀作法、所作など振る舞いにかかる決めごとで、これがほかの人たちのものと違っていたり欠けていると、人としての品格が問われます。
ルールや規則、マナーやモラルもそれらを守るには自律が基本です。
誰も見ていないから分からないだろうとしてルールや規則を守らずに、それが発覚して罰せられたり、マナーやモラルを守らずに他人に迷惑をかけてしまったり、周囲から低い評価を受けることがないように、多くの人はそれらを守れないことを恥と感じたり、昔から言われている「おてんとさまが見ている」的な感覚で、自分を律する意識でルールや規則、マナー、モラルを守っています。
必ず守らなければならいわけではありませんが、一緒に生活する多くの人たちが行っている風習、慣習、しきたりなどもあります。
まわりの人からの評価
その人が持っている、というかかもし出される品格 品位 気品や風格というものはどういうもので、なぜまわりの人たちがそう感じるのでしょうか。
言葉遣い、所作、他人への気遣い、見た目、雰囲気など総合的な印象で、それらは生まれながらにして備わっている場合もあるかも知れませんが、一般的には生まれや育ちのなかで周囲の影響を受けながらはぐくまれるものなのではないでしょうか。
自分流の方法や作法、やりたいやり方を抑えて、みんながやっていることにならって、そのやり方に従っていたり、マナーや人としてのエチケットを守り、たしなみがあるなど気持ちのコントロールが自然にできていたり、そのやり方が伝統的に、歴史があって洗練され、美しいとされている所作だったりするとまわりの人からは高い評価を受けることになります。
それらは学校などでは教えてはくれることはなく、日頃の生活のなかで家庭や自分の意識によって形成されていくものなのでしょう。
私は学生時代にホテルでアルバイトをし、利用をしているたくさんのお客様に接してきたり、機会があってさまざまな社交の場に居合わせてさまざまな人たちを拝見してきましたが、なかには振る舞いがかっこいいなと思う人やそうでない人を見てきましたので、どのような振る舞いをするとホテルの従業員やまわりの人に好印象を与えるのかを知っていて、決して生まれはよくなくても知識として一定基準のマナーを守ることができます。百貨店や高級レストランで働いた経験をお持ちの方も同じことが言えるのではないでしょうか。
頭が良くてどんなにりっぱなこと言っていても、お金持ちで高価なものをたくさん持っていても、振る舞いにモラルや品位などがないと人として高い評価を受けることは難しく、規則やルールを守られていなければ言語道断です。
昨今話題になる職場などで周りの人に不快感を与えるモラルハラスメントや従業員、店員の方に対する高圧的な態度のカスタマーハラスメントなどがそれにあたるでしょう。
自分自身のプライドを守ったり、まわりから高い評価を受けたいと思っているのならそれなりの振る舞いをしなければならず、その評価を周りに押し付けては逆効果となるだけです。
人物評価の重要な要素となる人格、人間性、人柄、性格、気質、寛容さ、ほがらかさ、正義感、責任感など、それらをその人の個性として発揮しながの生き方は、何かができるという才能などと違って、生まれながらの天性ということは少なく、生まれてから育ってきた生活環境の影響が大きいのではないか、と思っています。
モラルも人格、品格と同じように生まれながらにして備わっているものではありませんが、強いて言えばベースとなる倫理観は先天的なものがあるのかも知れません。
日頃の行動に対する自律要因として考えられるのは、外部要因として規則、ルール、マナー、モラル、エチケット、習慣、風習などがあり、内面的要因として羞恥心、道徳、倫理観、世間体、罪悪感などが考えられ、そしてそれらをよく知り、理解して状況に合わせて守れるように感情をコントロールしていく強い意志も不可欠でしょう。
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