第80話 SNS

考え方が変われば生き方も変わります
悩むことで心を傷つけるより、頭を使って考え、違う生き方を試してみませんか

SNS

SNSは「Social Networking Service(ソーシャルネットワーキングサービス)」の略で、日本語に訳すと「社会的なネットワークを築くためのサービス」ということになり、ソーシャルメディアと呼ばれることもあります。

パソコンやスマホなどでのインターネット環境は必須ですが、「X(エックス、旧Twitter ツイッター)」「LINE(ライン)」「Instagram(インスタグラム)」「Facebook(フェイスブック)」「YouTube(ユーチューブ)」などの無料サービスもあります。

会員登録された利用者同士が、Web(ウェブ)サイト上でそれらを利用して、関心があるその日常生活や活動、考え方など発信される情報をフォローしたり、親しい方たちとの双方向の交信をしたりします。

登録し、場合によっては相手やグループの許可を得る必要があったりしますが、友人同士や、同じ趣味を持つ人同士、近隣地域の住民同士などある程度閉ざされた世界にすることで、比較的密接なコミュニケーションをとることができます。

自分の日常生活でのできごとや考え方、音楽や動画や静止画などの作品を発表し、多くの方に知っていただくこともできます。

いまではSNSと呼ばれるサービスの種類やタイプも数多くあり、その特徴ごとの分類では「コミュニティ型」「フロー型」「メッセージアプリ系型」「動画投稿・共有型」「写真(画像)共有型」「ライブ配信アプリ型」「音声配信型」などがあります。

その内容も機能や特徴では、「オープン型」と「クローズ型」、「ストックコンテンツ」と「フローコンテンツ」などに分けることができます。

それぞれのサービスなかのおもなアプリを挙げると、「コミュニティ型」ではFacebook、「フロー型」ではX(旧Twitter)、「メッセージアプリ系型」ではLINE、「動画投稿・共有型」ではYouTubeやTikTok(ティックトック)、「写真(画像)共有型」ではInstagram、「ライブ配信アプリ型」では17Live(イチナナライブ)、「音声配信型」ではVoicy(ボイシー)などがあります。

私にとって、実際に利用して利便性を感じているものもあれば、今の時点では利用する状況ではないものもありますが、多くの方がそれぞれの生活のなかに取り込んで、交信手段や情報受発信手段、趣味としての時間の過ごし方などに利用しています。

SNSのなかで

LINEやメールなどによる情報伝達方法は、電話などと違って相手の都合や状況のことを考えずに発信でき、情報を受信・閲覧する側も自分の都合のいい時間や状況のなかでできるので、お互いに気を遣わないで用件を伝え合うことができて便利という利点があり、簡潔な文章というのが一般的な慣習になっているので、作文の手間が要らず、いきなり要件を伝えて、すぐに送信でき、また、読むほうも簡潔な内容で用件だけを受け取れるので読むのに気が楽だというメリットがあります。

そのため、LINEやメールなどは気心が知れた間柄の人同士が、待ち合わせ時間だとか安否確認などや、同じ趣味のグループの間で次の集まりの日時を伝えるなど、用件を伝えるだけの場合には適していますが、SNSだけで会ったこともない人に親しみや親近感を増すとかというのは難しいかも知れません。

気心の知れた昔からの知人とか親しい方たちとの連絡目的や意見交換のためのSNSや仲間内だけのクローズのネットワークのSNSであればお互いを知り合っていますが、オープンのSNSの場合には発信する人のこともよく知らないし、発信する情報を受け取る方たちも発信している人は自分のことを詳しくは知らず、場合によっては意図して作っている人物像の人たち、バーチャル(仮想)の人たち同士の仮想空間のなかでの交流ということになっているかも知れません。

不特定多数の方たちや実際に会ったことがなく、お互いのことをよく理解していないものの、趣味や考え方、関心事に共通性を感じている人同士が、SNSのなかで交流をして情報交換の手段としてSNSを利用している場合には、情報のやりとりをしているお互いの人物像や人となりにはあまり関心や興味がなくて、やりとりをしている情報そのものが好奇心や知識欲を満たしてくれることに交流の意義を感じているのではないでしょうか。

ただその場合には、情報の真偽を選別する能力を持ち合わせていないと誤った判断が起き、その結果起こる事態にも自己責任で対応しなければなりません。

第19話「誰の言うこと信じるかは能力」でもお話ししましたが大切なことは、誰の言うことを信じるか、どんな風聞にも負けない自分への「自信」を強く持つかです。

自分がこれまで培った経験と知識から正しいと信じた、または信頼できる人からの情報に基づき行動をしましょう。

なぜなら、結果は自己責任になるので、そうでないと納得ができないからです。

SNSなどから得られるもの

SNSでの情報交換は、実際に顔を合わせたり、既知の間柄の二人以上の人が、互いに話し合ったり、聞いたりして、共通の話題やテーマについて意見や考えを交換することで、お互いを理解し合おうとする「会話」ではないことから、発信したり話した内容に責任を持ったり、信じたりという状況に確信を持ちにくいですね。

SNSでも発信される情報に返信したり、反応や意見を返信するので、カタチの上では双方向のようになっていますが、よく考えれば一方通行同士の情報のやりとりで、たとえリモートなどであってもお互いの表情を確認したり、音声などでのトーンを手掛かりとして情報の理解を深めたり、真偽を確認できる会議や打ち合わせなどの会話とは生み出される効果は得難いものがあります。

野球やゴルフなどのゲームアプリでプレイするのと同じで、ゲームでいくらいい成績をあげても、それらで使用される用語やルールなどの知識を得ることはできたとしても、実際のそれらの実技での技術が向上するわけではありませんし

また同じように、どんなに美味しそうなフランス料理も写真では味や臭い、食感は分からないし、お腹はいっぱいになりませんよね。

SNSでは五感のうち、視覚と聴覚だけの感覚で、触覚や味覚、臭覚は過去の記憶の呼び起こしで想像はできても実際には感じることはないです。

SNSから得られる情報は、たとえそれが正しくても、知識として得ることができても経験、知恵にはなりにくいのです。

SNSの直接的な影響ではありませんが、ネットなどを通じてさまざまな情報が流され、ネットに接続した途端に情報があふれ出てきます。

好むと好まざるとにかかわらず、ほぼ無抵抗な状態でさまざまな情報というほどの価値や意味のない、いわば風聞、うわさ話に触れてしまいます。

いまや世界のどこでも防犯上の理由や監視目的などからカメラが設置されています。

これまで映像でなかなかとらえることができなかった出来事も、街じゅうの隅々まで、よほどの地方であっても始終録画されているので、それらを映像で記録することができていて、それらがおもしろおかしくも含めて、世界中から世界中に発信されています。

真偽はもちろん、発信元も分からず、発信の目的や意図も分からず、発信の影響の責任もとることがない風聞やまた、ニュースであってもヤフーニュースなどの一行の記事で出来事を知り、その原因や仕組み、影響などに思いをはせることもなく、それに関するどこの誰かのコメントを読んで、その出来事を知った気になり、自らの意見形成をするという習慣がなくなっているような気がします。

知ったからといってどうなるものでもなく、知らなくても日常生活になんの影響もないような、実際に起きた出来事やフェイクとして作り上げられたものまでが映像として無分別に流され、目にしてしまいます。

わずらわしいと思うならば、その風聞の発信元に接続しないことに限りますね。

とはいえ、スマホやパソコンに電源を入れると通信したい相手を選ぶことができ、場合によっては何か連絡が来ていたりするなど、友人たちや社会とつながっていることを実感でき、安心感を得ることができているのかも知れませんね。

SNSのさまざまなサービスを利用するには、それぞれのアプリでのルールを守ることと、利用することでの得られるメリットや起こり得るリスクを理解した上で、SNSのなかで発信される情報の真偽を見極めることができる能力が必要で、判断して発生した結果には自己責任で対応する自覚を持ち、実際の経験や知恵を会得するための入口や手段にして、それらを体得することで五感を満たし、人生を豊かに過ごすことができるように努めたらいいのではと思います。

せっかくいろいろなSNSのサービスが提供されているわけですから、避けたり逃げたりしないで、むしろなんとか利用して利便性を享受したり、新しい生活スタイルを楽しむことができたらいいと思いますが、まずは上手に使いこなしたいですね。

そして、世の中とは五感を駆使して、知恵を使いながら接していきたいものです。

羽澤 幸成

学生時代の県人会幹事長として、のちに大活躍される国会、県会、市会の議員の方や役所の方、趣味の音楽活動を通じて芸能の世界で生きている方など多くの人たちに接し、社会人になってから海外進出など多くのプロジェクトを軌道に乗せ、その分野の専門の方たちとも知り合い、いくつかの新しいことにもチャレンジして、早期退職後の企業信用調査の仕事では、それまでの大きな会社の人たちとは違う中小企業や個人事業の方たちとお会いし、いまは地域コミュニティ活動を通じて地域の方たちと交流活動をしています。
それらのキャリアを通じて、たくさんの経験をし、外国の方も含め多くの人たちに出会い、楽しいことばかりでなく、いやな思いもたびたびして、いろいろなことを学びました。
それぞれの世界で、多くの人たちが作る人間模様のなかで、うまくいっている人やそうでない人もいて、能力以外に考え方が違うのだ、と感じました。
人それぞれ考え方が違うので、当然に生き方も異なり、一緒に仕事や生活をしながら、なぜ、そうするのかを考えることの繰り返しで対応しながらも、自分の信念は曲げずに生きてきたので、心を痛めて悩んでいる人に、こうは考えられないかな、と頭を使って苦境を打開するキッカケになってくれればと思っています。

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