
季節と時間と年齢
季節も年齢が増えていく時間も進んだり、流れたりという表現で先へ先へと変化していきます。
時や時間、月日は流れていき、進んで、経っていって、一方通行でもとに戻ることはないですが、季節については、移ろうとか巡るという表現で、時間と同じにいったんは変化して過ぎていきますが、春、夏、秋、冬という順番で、一巡するとまたこの順番で繰り返し、あたかも元に戻ったような感じを味わいます。
日本だけではないのですが、日本ではとくにメリハリのある四季という、天候や日照時間、昼夜の長さ、それによって現れる花や農作物、果実などによって一年12か月をおおざっぱに4つに区切っていますので、一つの季節は約3か月ずつということになります。
ということで、春夏秋冬の四季をひと回り経験すると一つ歳を取ったことになり、歳の数だけそれぞれの季節を経験したことになります。
私は11月、日本の季節でいうと秋の終わりに生まれたので、冬になり、春、夏の季節が過ぎて秋の終わりに一つ歳をとることになります。
実際には、1年365日が経つと一つ歳をとったことになりますが、生き物としての人間は、樹木の年輪のように歳をとる季節があるようで、年齢を重ねていくのはらせん階段を上るようにダラダラとではなく、一つ階段を上がり、そこで一定期間を過ごし、時期が来たら次の階段を上がる、ということらしいです。
たしかに、一段、二段では分からないかも知れないけれど、数段上がって見る四季は、それまでとは違って感じられますね。
子供のころに見た桜や菜の花はいま見ると違った印象だし、子供ころには目に入らなかったバラにもいまは目が行くようになっています。
誕生日が来て一つ歳をとると、昨日までより年齢だけは一つだけ加算されるけれど、身体も気持ちも昨日となんの変化も感じないものの、今日からは新しい年齢で生きていくことになります。
いつ歳をとるか
樹木の年輪のように、歳を重ねることの目に見るような分かりやすい節目となる季節が人間にもあるのでしょうか。
樹木は、春から夏にかけて気温の高まりや明るい日差しを受けて大きく成長し、夏の終わりから秋にかけて気温の低下や日差しの弱まりなどにより成長が止まり緻密になって筋状になり、それが同心円状の輪のように見えるので年輪と言われ、この輪の数を数えると樹齢が分かります。
また、魚のうろこやほ乳類の角などにも年輪があると言われていて、それぞれの年齢の推定に利用されているそうです。
では人間はどうなのでしょう。
春は1年でもっとも寒暖差が大きい季節で、それがストレスになって体調を崩してしまう方もいらっしゃいますが、一方ではそれまでの冬の寒さや曇り空の多さから解放され、暖かい日差しに心が躍るように明るい気持ちになり、身体もそれにつれて元気づけられるので、何か一つの節目のような気がします。
「春眠暁を覚えず」と言われているように、春は睡眠のコンデションがよくなり、明るい日差しの効果もあって「やる気ホルモン」のドーパミンや「幸せホルモン」のセロトニンの分泌も活性化されるようで、心も身体も活発になるきっかけになり、行動することで結果も出てくるので、特長を出せるかも知れませんね。
一方では、『人は、秋に年をとる』とも言われますが、その理由は肌が、夏の紫外線や冷房による乾燥、汗による刺激などのダメージを受けていて、十分な手入れのないまま寒暖差の大きな秋を迎えてしまうと肌の老化につながることが原因なのでしょう。
人生の4つの時期
一年を四季に分け、自然はそれを繰り返しますが、一方通行で時を過ごす人間の区切りはどうでしょうか。
仮に、よく言われている「人生80年」としてライフサイクルを自然の四季のような区切りで考えてみると、1つの期間が20年ということになります。
誕生から成人までの20年間、この時期は季節でいうと春ということで、木々が芽吹き、若葉が生い茂り、やわらかな日差しを受けて、ひたすら成長にエネルギーを費やす時期ということになるでしょうね。
そうして、花が咲くように個性というものができあがっていき、花が周りの人から見られるように、周囲の人たちとのつながりのなかから色やにおいが出てきます。
青春といわれる次の40歳までの20年間、この時期は季節でいうと夏に例えられ、日差しも強く、気温も高くなりますが、多くの人が自立して自己責任でそれに負けないくらいエネルギッシュに動き、汗をかき、たくさんの人との出会いを通じて様々なことを経験し、心や身体を作り上げていく時期ということになるのでしょうね。
出会いのなかには、その先の人生を共に歩むパートナーや生き方に大きな影響を与える人との出会いもあるかも知れません。
人生の転機となる時期でもあり、この時期のがんばりや経験が次の時期へのベースとなることが多いですね。
そして人生の実りの時期の壮年と言われる60歳までの20年間、この時期は季節でいうと秋に似ていますね。エネルギッシュに過ごして残してきた結果を自分自身の収穫物をして蓄え、それらをベースに気温や日差しが穏やかになるように身の回りの変化を受け止めて対応し、時として収穫物をまわりの人たちに分け与えながら、ゆっくりと次の季節への移り変わりに備える時期なのでしょうね。
そして晩年となる次の20年間は、季節でいうと冬ということになり、季節と同じように気温も下がり、寒くなり、雪も降って生きていくのに厳しい環境で、無事に過ごすには何か工夫が必要になり、また年末もあるので一年の終わりという節目感が出てきますが、晩年の象徴でもあった企業での定年が10年くらい先に延びている傾向もあるので、壮年の時期が延びて、それにつれて晩年の時期になるのが遅れることになり、さらに最近では「人生100年時代」と言われているので、もちろん個人差はあるものの、60歳以降がこれまでの晩年というイメージではなくなってきています。
それぞれの時期は、季節での過ごし方が違うように環境や状況に合わせた最適な生き方を考えていかなければいけませんね。
もちろん、状況の変化はこのように明確な区切りがあるわけではなく、それぞれの期間に特徴的な心や身体の状態はあるものの、青春時代は誰にとっても明るいわけではないし、壮年期に誰でもが元気はつらつと行動をして望む結果を得られるわけではないし、晩年にみんながみんな穏やかに過ごしているわけではないけれど、年齢という絶対的な区切りはありますね。
それぞれの時期を、その時期を象徴する修飾語のように、変化していく生活環境を味わいながら過ごすことができたら素敵ですね。
一般的な季節のイベントである、お正月、ひな祭り、七夕、盆踊り、お祭り、クリスマス。
そしてこれもまた一般的な人生のセレモニー、七五三、入学式、卒業式、入社式、結婚、出産。
それぞれの想い出のシーンが、できごとともに景色や天気、気温、花などのそれぞれの季節感とともに記憶されていて、思い出す手掛かりとなったり、同じ季節になると思い出したりするのでしょうね。
植物や農作物はそれぞれの季節に適した花を咲かせ、実を実らせ、それがすべて種子を作って自分たちや仲間の子孫を残していくため、という仕組みを繰り返していきますが、私たち人間も、季節に花木や生物たちがしているように、それぞれの季節やセレモニーを存分に楽しみながら時の流れを経て、人生の節目にしながら自分は人生のなかで、季節に例えるといまどんな季節にいることになるのだろう、と考え、自分だけが例外ではないので多くの方たちが経験してきた教えから、次に来る人生のシーンは季節に例えるとどのようなものになるのだろうと予想し、自分自身の次の季節の準備をするとともに、次の世代の人たちができるだけ快適に、豊かに、楽しく暮らしていける環境を整えるように努めたいものです。
それぞれの時期や季節を一緒に過ごす気の合ったパートナーや仲間がいると、一人でいるよりも楽しみ方も変わり、違うものになって、より楽しめるかも知れませんね。
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