雑記 その2 「おはようございます」と「お疲れさま」

考え方が変われば生き方も変わります
悩むことで心を傷つけるより、頭を使って考え、違う生き方を試してみませんか

芸能界などでの「おはようございます」

学生時代にバンドをやっていて、素人とはいえまわりには、いわゆる芸能界の方々もいたのでバンド活動をしている時は芸能界のルールに従うのですが、その世界は規律が厳しかったです。

一般社会であれば実年齢が比較的絶対的で、社会的地位も考慮されるものの、ふつうは年少者が年長者に敬語を使いますが、当時芸能界には独特の規律がありました。

おそらくその習慣はいまも続いていると思います。

というのは、子役などで早くからこの世界で活躍して名前が知られていたり、長いあいだこの世界にいても全然売れていない人もいるので、実年齢や有名度合(一般社会の肩書のようなもの)などが規律の基準になりにくいことから、芸能界に入ってからのキャリアを基準にしています。

とくに、挨拶は厳しくて、楽屋や会場、スタジオに入る時には大きな声で挨拶をします。

朝、昼、晩とその都度ていねいな言葉で挨拶をするのですが、「こんにちは」や「こんばんは」では丁寧な言い方がありません。

唯一、「おはよう」だけが「ございます」をつけて丁寧な言い方になれるのです。

芸能界やテレビ局などは昼も夜もなく、24時間働いているので仕事のスタートは朝のようなものなので、いつでも「おはようございます」という感じもありますが、丁寧な言葉で挨拶をする、という規律にも合い、便利なのでいつでも「おはようございます」を使っています。

お疲れさま

同じように、「お疲れさま」という言葉も芸能界では昔からよく使っていました。

最近では、日常会話でもよく耳にしますが、理由は同じだと思います。

コンサートなどが終わったときや楽屋・会場を出る時などに、出演者がお互いを「よく頑張りましたね」と慰労し合うのですが、その常套句(決まりの言葉)が「よかったですよ。お疲れさまでした。」なのです。

「よく頑張りましたね、お疲れでしょう」という気持ちを込めて使うのですが、「さま(様)」がついているので丁寧に言っている印象を与えることができるのです。

「お疲れさま」は本来、立場が上位の人から若い方や部下に対して、指示や依頼をした仕事や作業が終わったときに、頑張ったことを慰労する場合に「ご苦労さま」とか「お疲れさま」と言って、感謝の気持ちを伝えていたので当然、「お疲れさま」や「ご苦労さま」は、目上の立場の人が若い人たちに「疲れていてる様子だけれども大丈夫か」とか「苦労をかけたようだけれども大丈夫か」とねぎらう意味があり、上から目線で使われることが多かったのですが、最近では若い人が年長者や上司に対してまでも使って言います。

「さま(様)」がついているので、丁寧に言っているつもりなのでしょう。

そもそも「お疲れさま」の「さま」は、苗字などの次に敬称として付ける「様」という意味ではなくて、「様子」とか「状態」を表す意味なのではないでしょうか。

とはいえ、仕事を終えて職場を出るときに「お先に失礼します」と残っている人たちに挨拶をし、それに対して残っている人たちから「お疲れさまでした」と返されると「明日もがんばろう」という気持ちになれるので、理屈抜きにいい習慣だとは思います。

挨拶は大切です。

コミュニケーションの基本だと思います。

羽澤 幸成

学生時代の県人会幹事長として、のちに大活躍される国会、県会、市会の議員の方や役所の方、趣味の音楽活動を通じて芸能の世界で生きている方など多くの人たちに接し、社会人になってから海外進出など多くのプロジェクトを軌道に乗せ、その分野の専門の方たちとも知り合い、いくつかの新しいことにもチャレンジして、早期退職後の企業信用調査の仕事では、それまでの大きな会社の人たちとは違う中小企業や個人事業の方たちとお会いし、いまは地域コミュニティ活動を通じて地域の方たちと交流活動をしています。
それらのキャリアを通じて、たくさんの経験をし、外国の方も含め多くの人たちに出会い、楽しいことばかりでなく、いやな思いもたびたびして、いろいろなことを学びました。
それぞれの世界で、多くの人たちが作る人間模様のなかで、うまくいっている人やそうでない人もいて、能力以外に考え方が違うのだ、と感じました。
人それぞれ考え方が違うので、当然に生き方も異なり、一緒に仕事や生活をしながら、なぜ、そうするのかを考えることの繰り返しで対応しながらも、自分の信念は曲げずに生きてきたので、心を痛めて悩んでいる人に、こうは考えられないかな、と頭を使って苦境を打開するキッカケになってくれればと思っています。

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