
動作の二面性
同じ動作に「る」と「られる」の二面があります。その動作を「する」側と「される」側です。
誰かが何かをすると、それをされた相手が存在する場合があります。
二面性のある動作はたとえば、「する・される」、「おこる・おこられる」、「助ける・助けられる」、「与える・与えられる」、「触る・触られる」、「ぶつ・ぶたれる」、「かまう・かまわれる」、「いじる・いじられる」、「見る・見られる」、「おごる・おごられる」、「利用する・利用される」、などの動作です。
これらの動作の「する」側を「能動的」、「される」側を「受動的」という表現をする場合がありますし、動作としては犯罪ではありませんが「加害者」「被害者」という立場に見立てると、あまり一般的な日本語ではありませんが、「使動」「被動」という言い方になるかも知れません。
自分はどっち
広い意味で「する」「してあげる」側と「される」「してもらう」側と、自分は日頃の行動でどちら側が多いか、または、どちらがしっくりするかですね。
「する」「してあげる」側が多い人は、「おせっかい」とか「世話好き」、「面倒見がいい」という表現をされる場合が多く、「される」「してもらう」側が多い人は、「甘えん坊」とか「依存性が強い」「面倒見が悪い」などと表現されたりします。
そっくり当てはまるわけではないのですが、さらに広い範囲でとらえると、「積極的・消極的」「自発的・強制的」「主体的・従属的」などに近い二面性としての感覚に通じるものがあります。
「する」側の人
「する」側の「能動的」は、「自ら積極的に他へ働きかけるさま」「自ら考えて物事に取り組むさま」という意味で、何らかの物事に対する行動で他人の意思などに影響されず、自分から積極的にほかへ作用を及ぼす様子をいい、能動的学習、能動的行動などの複合語でも用いられます。
「能動的」な行動をとる人は、状況の全体像を見据え、困難な事態や問題・課題を予測して、さらに似たような過去に起きた同じような思わしくない結果を回避したり、望む結果を得られるように準備したり、対策となるような計画を立てる傾向があります。
「される」側の人
「能動的」の反対語の「される」側の「受動的」は、「他から行動・作用を及ぼされるさま」「自分の意志からではなく、他から動かされてするさま」という意味で、「受け身の性質を持ったもの」という意味合いもあります。
「受動的」な行動をとる人は、「他に動かされるさま」なので、自分の意思ではなく、他からの力によって何かをさせられる、とか他人から言われたことにそのまま従うだけの態度や、指示があるまで自分からは動かない姿勢、などの傾向がみられます。
そのほかの動作
そのほかの動作の表現の、「積極的」は、物事に対して自分から進んで働きかける様子をいいます。これは、何らかの物事に向かって行動する際に、肯定的で、能動的な様子を表す場合に用いられ、また積極的自由や積極的学習、積極的治療などの複合語でも用いられます。なお、積極的の反対語は、「消極的」です。
「自発的」は、物事を自分から進んで行う様子をいいます。これは、他人からの働きかけによらず、自ら進んで行動する様子を表す場合に用いられ、また自発的活動や自発的行動、自発的失業などの複合語でも用いられます。
「主体的」は、自分の意志や判断に基づいて行動する様子をいいます。これは、他人に強制されたり、言われるままに従ったり、追随することなく、自らの意志や判断によって、何かを行う様子を表す場合に用いられ、また主体的判断や主体的学習などの複合語でも用いられます。
「能動的」は、自分から他のものへ働きかけるという「行動」に重点を置いている表現ですが、「主体的」は、行動する際の自分の意志や判断に従っているという「精神面」に重点を置いています。
「する」や「される」という動作以外に「している」という動作があります。
例えば、「歩いている」状態で、歩く時に歩こうと意識をして歩いている人はおそらくいなくて、目的地に向かって自然に足を左右交互に動かし、手や体のバランスをとりながら歩いているでしょう。
そのように、気付けば、あるいは、無意識に行っている行為や状態を「中動態」といい、「ある行為や状態が、その人の意思に基づくものから離れて、その人の人となりに基づいている」動作の表現です。
日々の生活で
人は日々の生活や社会活動のなかでさまざまな動作を行っています。
意識しているものもあれば、習慣などとして無意識に行っているものもあります。
何かをすればされる側の相手がいます。
何かをしてもらえば、してくれた側の相手がいます。
人間ですから当然に、動作の動機としてや動作の結果についてさまざまな感情を伴います。
喜びや幸福感が動機や結果となるように努めたいもので、恨みや憎しみが動機や結果となるようではお互いの関係性は壊れてしまうので、気分がよくないとともに、さみしい気持ちにもなりますから、避けるに越したことはないでしょう。
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