第86話 居酒屋

考え方が変われば生き方も変わります
悩むことで心を傷つけるより、頭を使って考え、違う生き方を試してみませんか

居酒屋のかつての雰囲気

ひと昔前、サラリーマンが毎日のように通っていた居酒屋には、様々な感情を持ち込み、それを他人に話したり、聞いてもらったり、また聞かされて状況を共有された、した気になって、カタルシスなどの精神浄化作用があり、明日への活力につながっていたような気がしていました。

その当時は多くのことがアナログで、手作業で、関係者同士が直接接触していかないと物事ができ上がっていかなかったので、手段としてコミュニケーションが不可欠で、指導や叱咤激励などの場面も必然として出てきたので、副産物としてお互いに様々な感情が生まれることになり、それを自分自身のなかに抱え込まないで発散するなどして、ココロのバランスをとるために居酒屋は機能していたように、今となって思います。

居酒屋の効用

その際、酒はもちろん肴でさえなんでもよくて、酒の銘柄や旬の食べ物などには関心が薄く、誰と時間や空間を共有するか、だけがポイントだった気もします。

「飲みニケーション」という言葉もありました。親交を深めたり、コミュニケーションを活発化するのにお酒の力や酒場の雰囲気を利用してきたのです。

オトコはそんなことができたけれど女性はどうだったのだろう?

「居酒屋」で過ごしている時間は当然に、家族とは過ごしていないわけですから優先順位は明確で、たまにであれば家族の理解も得られるかも知れませんが、昔のように毎日となると、いまではとても許されることではないですね。

最近の居酒屋

最近はグルメブームとかで酒の種類・ブランド、旬の食材などに加えて店の雰囲気、インスタ映えまで考慮の要素になっていて、昔のメインの目的だった語り合いが添えモノになっているのではと思います。

それはそれでもちろん良くて、昔を懐かしんでの繰り言を言ったり、ノスタルジックで退廃的な懐古趣味などはサラサラありませんが、居酒屋の機能が変わったな、そんな機能必要なくなったのかな、代わりの場所がどこかにできたのかな、家庭に戻ればリフレッシュできるのかな、もっと言えば最近の人たちは浄化が必要なほどそんなに大きく感情が動かないのかな、などと思ったりもします。

演歌などに歌われるほどそれぞれの人生の舞台として実生活を虚々実々に転写していた居酒屋、そんな場所だったから一人で身を置いても気分転換ができたものですが最近は、モトをとろうとあせっているのかのように大声をあげたり、大きな笑い声が響いて楽しさを演じているような光景を見かけます。

お酒の力などを借りて、一緒に働く職場の仲間の人となりを知るために、いろいろな話題で会話を活発に弾ませ、親交を深めているような様子の方たちはあまり見かけないような気がしています。

それとも、居酒屋に行く目的は変わらないものの、親交を深める方法が違うだけなのかも知れませんね。

仕事との循環

ものごとの多くがアナログだった時代には、マニュアルがないから上司の指示や知恵と経験を活かして与えられた仕事をこなす、仕事終わりには職場の仲間と親交を深めるために居酒屋に通う、給料日に手当てをいただく、自分や家族の欲しいものを買いに行く、店員の勧めもあってモノを選び、財布の中から数枚のお札を出して支払う、それらを使って生活をし、思い出ができる。

この循環をアナログといえばそうかもしれないけれど、アナログには循環プロセスが実感できたし、それぞれのつながりを理解できた気がします。

会社から給料日に支給された現金を手にしていた時代には、これがやってきた苦労の見返りかと頑張りを振り返り、またこれからも頑張ろうと気持ちを新たにした思いも遠い昔のこととなり、給料が銀行振込になって苦労が明細書や通帳に記載された数字となり、欲しいものもクレジットカードなどで買い、銀行残高でその額を決済することが今や一般的になって、お金を稼ぐまでの苦労と欲しいものを手に入れる喜びを得るための手段という、お金が以前持っていた価値の等価交換機能が際立たなくなってきた気がします。

時代の変化

コンピュータ技術の進化は、世の中のさまざまなモノだけでなく、習慣までも大きな影響を受けています。

いまはリアルと仮想の区別がしにくく、安さ、手軽さ、便利さなどそれぞれの循環過程の表層部分だけ自分の都合に合わせてチョイスし、手間や煩わしさ、苦労はできるだけ避けていこうという風潮です。

合理的といえばそれまでですが、仕事に例えれば、苦労をするから知恵が働き、反省も含めて経験となって知識のベースになっていくし、いろいろな人とかかわりを持つことで、煩わしさはあるものの、さまざまな情報交換などから得るものも大きく、大きくとらえると人間としての成長のきっかけにもなる気がします。

知識は名詞となり、経験は動詞として知恵や工夫の基礎となるのではないでしょうか。

居酒屋での会話を通じて、いろいろな人の人生の経験談やそれを通じて得た考え方や生き方を知ることで、自分ではなかなか経験できないような事柄も疑似体験として自分の考え方の刺激になったり整理がついたりする効果が生まれたりします。

居酒屋もいまでは光景が変わり、たとえお酒が苦手な方でもノンアルコールの飲み物を片手に、なんの違和感もなく以前と同じような雰囲気をかもし出してます。

そういえば、居酒屋に女性の姿を多く見かけるようになりましたね。早い時間であれば家族で来られる人たちも見かけますね。また、観光客のような外国からの人もいらっしゃったりして、世の中の移り変わりは大好きな居酒屋の雰囲気の変化からも知ることができますね。

居酒屋が、人と人との交流の場、出会いの場、さまざまな流行りを知る場、季節を味わい感じる場であることはいまも昔も大きく変わってはいないと思いますが、そこへ通う人たちが作り出す雰囲気が変わってきましたね。

サラリーマンの男性たちが作り出す閉鎖的な雰囲気から、居酒屋の持っているお酒を飲む場、食事を楽しむ場という役割がより開放的な雰囲気を作り出し、さまざまな人たちによって以前よりもにぎやかさを増しているように感じます。

居酒屋もいまや外食産業の一形態としての位置づけが強くなり、利用する人たちの目的も一人で食事をするよりも誰かと一緒に、とかたまには違う人たちと飲食をしたい、という飲食の場としての役割を求めているのでしょう。

徳利の日本酒を、盃でチビチビと飲みながら、男二人で世の中を憂いたり、天下国家の空想を語り合ったシーンは、遠い遠い昔のことになってしまいましたが、相当なお金と時間を費やしたものの思い起こせば翌日につながる一日の締めとして気分転換ができたり、いろいろな人生の知恵を学んできた記憶もあります。

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