雑記その16 合成の誤謬

考え方が変われば生き方も変わります
悩むことで心を傷つけるより、頭を使って考え、違う生き方を試してみませんか

合成の誤謬とは

「合成の誤謬(ごうせいのごびゅう)」という言葉があります。

「合成」とは、二つ以上のものが結びついてある一つのカタチになることで、「誤謬」とは、まちがえることで一般的には、推論や議論に論理的な矛盾があったり、非合理性が生じたりする誤った推論のことです。

つまり、一つ一つや個々が理にかなっていて、良かれと思って合成されたものが、全体として見ると、その構成員の望んだ状況とは違っている、目指したものではない、という意味です。

さらには、個人個人の行う行為が理にかなっていたり、納得ができたり、多くの人も同じような行為を行うことが、世の中全体になると個人個人が望む状況ではなくなってしまう、不利益となってしまうという個人と全体との効果のアンバランスを言います。

合成の誤謬の例

代表的な「合成の誤謬」として例えられるものに、経済などの「貯蓄のパラドックスまたは節約の逆説」があります。

例えば、一人一人が生活を守るために貯蓄や節約に励むと、その人の資産が増えるという効果があるものの、国民全員が貯蓄や節約志向になると、国全体の消費が減退し、景気が悪くなって国民の総所得が減ってしまい、その人の給料も減ることになり、貯蓄を取り崩さざるを得なくなる、という状況を招きかねません。

また、景気悪化に対応して企業が一斉に経費削減などによる対応を重点的に行った場合、経済全般がさらに悪化してますます企業業績が落ち込むような悪循環となってしまうケースも想定されます。

「合成の誤謬」とはこのように、個人個人が正しいと思ってとった行動や個々のレベルでは正しいと思った対応をしても、みんなが同じ行動をとることで社会的な状況を悪化させてしまったり、経済全体で見ると悪い結果をもたらしてしまうようなことをいいます。

思い違い

似ている状況に、相手にとって良かれと思ってしたことが、実は相手にとって迷惑だったというケースですね。

また、決められたルールを一人一人がそれぞれの都合を優先させて守らないと、それにならって全体が混乱するなどというのは論外としても、みんなが良かれと思われているルールをあれやこれやと複雑に取り決めると、世の中や全体として混乱が生じることになってしまうこともありますね。

ただこれは、自分やルール、取り決めなどを作る方の思い違い、錯誤ですね。

相手のことがよく理解できていなかったり、個々のレベルと全体の互いの波及効果が理解できていないために生じる間違いですね。

合成の誤謬を防ぐには

自分が何か行動を起こす場合や世の中などのルールを取り決める場合には、自分自身や個人個人の都合はよくても、周囲の人や世の中全体として迷惑となることがないか、何か不都合なことが生じてしまう人がいないか、などを考慮する必要があります。

逆のケースもあります。

自分ではあまり気が進まなくても、たとえばあるグループのまとめ役を引き受けるとか、そのことがみんなのためになることならばあえてそれに取り組んだり、一部の人に不利益なことが起きても、多くの方にとっての利便性に大きな効果がある場合にはその事情を優先させ、不利益を受ける人には別途その補てんをするなどの対応もあります。

最近では、個人レベルでも自分本位や、自分の都合を優先させ、さらにそれらにほかの人たちとの共通性が薄い傾向が多く、またそれを強く主張する風潮が強くなり、その影響もあって世間や世の中の合意や主流となる了解を得にくくなってしまっていて、全体としてのビジョンを描きにくく、強い方針を打ち出せなくなっているために、個人レベルでも戸惑いが解消されずに、個人も世の中もバラバラ感を生んだまま、混乱しているような状況が続いている感じになっています。

ではどうすればいいのか、です。

個人もルールなどを取り決める人たちにも確かな信念や思念に基づいて、強い決断をする勇気が必要ではないかと思います。

まず、全体として良かれと思って合意された取り決めを実行してみて、結果を公平に検証し、速やかに改善していって個人の都合と全体のバランスを図りながら迅速に対応していくということが許容される風潮やシステムがないと、いつまでも世の中が良くなっていかないのではと懸念しているのは私だけでしょうか。

いつまでも変える必要や変える状況が生まれないルールなどは、現実的にはあり得ないことのほうが多いので、不都合なことが起きているのならまずはルールを変えてみて、結果を検証して、良かれと思われるルールに変更をする、という繰り返しをすばやく実行していけば、一般的には不都合なことが生じることも程度も抑えられ続けるのではないかと思うのですが。

失敗が許されなかったり、失敗をすると強い非難を受けるなどの風潮では何か新しいことや改善の提案がしずらくなるので、変化を受け入れ、その影響によって程度が軽微であれば失敗を許容し、次のチャレンジを後押しするという循環が生まれれば、きっと世の中が多くの方が望む方向に変わっていくでしょう。

羽澤 幸成

学生時代の県人会幹事長として、のちに大活躍される国会、県会、市会の議員の方や役所の方、趣味の音楽活動を通じて芸能の世界で生きている方など多くの人たちに接し、社会人になってから海外進出など多くのプロジェクトを軌道に乗せ、その分野の専門の方たちとも知り合い、いくつかの新しいことにもチャレンジして、早期退職後の企業信用調査の仕事では、それまでの大きな会社の人たちとは違う中小企業や個人事業の方たちとお会いし、いまは地域コミュニティ活動を通じて地域の方たちと交流活動をしています。
それらのキャリアを通じて、たくさんの経験をし、外国の方も含め多くの人たちに出会い、楽しいことばかりでなく、いやな思いもたびたびして、いろいろなことを学びました。
それぞれの世界で、多くの人たちが作る人間模様のなかで、うまくいっている人やそうでない人もいて、能力以外に考え方が違うのだ、と感じました。
人それぞれ考え方が違うので、当然に生き方も異なり、一緒に仕事や生活をしながら、なぜ、そうするのかを考えることの繰り返しで対応しながらも、自分の信念は曲げずに生きてきたので、心を痛めて悩んでいる人に、こうは考えられないかな、と頭を使って苦境を打開するキッカケになってくれればと思っています。

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