第83話 目的、目標と手段

考え方が変われば生き方も変わります
悩むことで心を傷つけるより、頭を使って考え、違う生き方を試してみませんか

「目的」「目標」「手段」とは

日々の生活を送るなかで、生きがいや生きる意味を考え、感じたり、充実した時間を過ごしたいなどという気持ちから、規模の大小ではなく望む状況や期待する結果を求めて「目的」を持ち、その実現のための「目標」や「手段」を設定したり、講じたりします。

「目的」とは、達成しよう、実現しようと自らが決めた「目標」を成し遂げて、意図した、望んだ状態にたどり着くことですね。

「目的」は、いま現在たどり着きたいと思っている状況で、最終的であったり、長期的であったりしますが、「目標」は「目的」を達成するためにクリアしていかなければならないステップや過程となるもので、比較的短期的になる場合が多いです。

「手段」とは、「目的」「目標」を果たすための方法ということですが、単なる「やり方」という意味だけではなく、行動を起こすための準備や「目的」「目標」を果たすために必要な条件を整えるという意味もあります。

「行動を起こすための準備」は、精神的な心構えや意志を強く持ったり、そのことに集中できるようにそれ以外の物事を整理するということです。

「条件を整える」とは、実行するのに必要なヒト・モノ・カネ、時間が十分に手許にあって、自由に使うことができるか、またはそれを実行することでほかに影響を受ける物事がないかどうかを確認することです。

「目標」の内容と方向性をチェック

「目的」を果たすためにはまず、設定した「目標」を成し遂げるためにさまざまな「手段」を実行していきますが、実行するのはあくまでも「目的」を果たすためであって、「手段」の実行、遂行は「目標」や「目的」ではありません。

ですから、実行した結果については「目標」と「目的」の方向に向いているか、ゴールまでの道のりはどこまで達成され、あとどのくらいか、などを常に確認していかないと、場合によっては実行が無駄になってしまうことがあります。

「目的」「目標」を果たすために、効率的に最適な「手段」が実行されているかを常に確認しながら、着実に前に進んでいかなくてはなりません。

「手段」の内容と方向性をチェック

果たそうとする「目的」や「目標」の難易度が高い場合には、実行しなければならない「手段」も当然に難しく、苦労を伴います。

ややもすれば、「手段」を実行するだけで精一杯になってしまい、なんのために「手段」を実行しているのかを忘れ、やらなければならない「手段」を実行することが「目的」「目標」のように感じてしまう場合があります。

また、「手段」実行の段階でヒト・モノ・カネ、時間に不足が生じたなどの理由で「目的」「目標」を果たすことが難しいことが分かった場合の対処ですが、考えられるのは新たな「手段」を探し求めるか、「目的」「目標」を変更するかの選択になります。

「目的」を果たすための「目標」が適切であったか、「目的」はなんのために、なんとしても果たさなければいけないのかなども、もう一度考え直す必要もあるかも知れません。

その場合大切なことは、「目的」のための「目標」を果たした時の状態のそれぞれを分けて考え、「目標」を成し遂げるための「手段」が最適で、効率的で、必要不可欠なものかどうかを検討することです。

たとえば、思い描いた、理想とする人生設計や年齢ごとの人生の状態を手に入れるために、まずは一生懸命に勉強をして、いい大学への入学を目指す、というケースを考えます。

一生懸命に勉強をするというのは「手段」で、いい大学に入学するというのを当面のクリアしなければならない「目標」として、それを成し遂げると望む人生になるという「目的」を果たす、ということです。

一生懸命に勉強をしている期間は、いい大学に入学するために必要な学力を身につけることが「目標」になります。

それは多くの場合数値化されるので、「目標」の達成度合いを確認することができます。

会社などでよく見られるのは、この「手段」の段階での混乱です。

「目的」「目標」達成のために、必要、合理的という合意に達すれば、あとはそれを全体として効率的な方法で実施すればいいだけなのに、まだほかの「手段」を持ちだしたり、さらにひどいのは「手段」のやり方レベルでモメるさまです。

やれウチの部署の負担が大きいとか、そんな時間や人手がない、などという不満です。

「手段」が人海戦術に依る場合は当然に、人手が多い部署が負担することが合理的である場合が多いし、その不満は目的達成までのプロセスのなかで解決すればいいことなのに、「手段」のさらに低次元の「やり方」くらいで全体の足並みがそろわないようでは組織の「目的」「目標」はとうてい達成できるはずがありません。

「目的」達成の可能性をチェック

望む「目的」のために成し遂げなければならないと決めた「目標」の実現度合を測ることで、「目的」の実現性も推察できることになります。

その見通しが明るい場合にはそのまま努力を続けていけばいいのですが、そうではなく見通しが暗かったり、不安になった場合の対処です。

望む「目的」を変えたくないので、それを果たすための別の「目標」を設定するか、必要な「目標」を果たすための「手段」を変えるかの選択、ということになります。

まずは、なぜ「目標」を果たすことができないようになったかの原因を分析して、理解しないと次の対処の策を講じることができません。

さらなる努力が解決策と考える場合には、頑張り続けることが方法・手段になりますが、それ以外による場合には、それぞれ最適な方法・手段で対処していく必要があります。

「目的」の範囲

おそらく、望む「目的」がいまの現実との比較で大きな差があれば、それを手に入れるための「目標」も成し遂げることが難しく、そのための「手段」も容易ではないのでしょうね。

逆に、いまの現実からそれほど大きな差がない「目的」を望めば必要な「目標」や「手段」も比較的容易にこなすことができることでしょう。

ということは、自分がいまできると思われる範囲の「目標」や「手段」にとどめて日々を送りたいと望むならば、目指す「目的」もその範囲内にならざるを得ないということになりますね。

そう考えれば、高い次元の「目的」は安易な努力では手に入れることができず、安易な努力しかできないのならば、高い次元の「目的」は望んでも手に入らないということになりますね。

改めて、「目的」「目標」「手段」の関係を考えればそのとおりなのでしょうけれど、現実を突きつけられるような感じで、耳が痛いですね。

しかし、そういうことならばこれまでの自分の人生に納得ができるかも知れません。

果たせなかった「目標」、実現しなかった「目標」は自分の能力を超えていたか、必要な努力をしてこなかった、ということになりますね。

次から次へと新しい「目標」を設定し、それらを順次達成して自己実現を味わうことを生きがい、生きる目的とするという生き方もあるかも知れません。

今回は、自分の生き方や人生における「目的」「目標」「手段」について考えてきましたが、会社などでの経営政策、国や自治体などの政策の場合は、崇高なビジョンに裏付けされた「目的」があり、その実現のための「目標」や「手段」が論じられ、計画されていきますが、その場合でも個人の場合と同じように「目的」「目標」「手段」の関連性や位置づけは明確にしておかないと建設的な議論にはなりませんね。

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