雑記その17 長幼の序

考え方が変われば生き方も変わります
悩むことで心を傷つけるより、頭を使って考え、違う生き方を試してみませんか

長幼の序とは

長幼の序(ちょうようのじょ)という言葉があります。

言葉の意味は、文字どおり年長者と年少者という年齢による順序ということですが、一般的には何か事に当たっては年長者が優先される、という意味合いの場合に使用されることが多いです。

その意味から、使われ方としては「長幼の序を重んじる」とか「長幼の序をわきまえる」などのように世の中の秩序を意識したもので、決して追いついたり、追い抜いたりできない年齢の差というものを絶対的なものとして重きを置き、そのうえで自分を基準にして、自分より年長者か年少者かという相手に対する接し方が、マナーレベルで世の中にはあるということです。

年齢差の意味

年齢を基準に考えれば、日頃お付き合いをする人とは自分より年長者か年少者か、あるいは同い年か、という必ず絶対的な関係がありますが、ポイントは、その年齢という絶対的な関係をどうとらえるか、どう理解するかです。

社会的なしきたりとしては一般的には、年長者か、年少者かという関係で、それぞれの人たちへの振る舞いも違いますし、付き合い方や扱われ方にも期待があります。

ここでいう年長者と年少者というのは、社会のルールの対象となるお互いが社会人同士の関係の場合です。

社会のルール

一般的に期待されているのは、年長者は年少者より長く人生を生きているので、さまざまな経験を積んでいて世の中や社会への理解度も年少者より深いという前提で、その人からさまざまなことを教えていただかなくてはならないという状況が多いので、年長者は尊敬されたり敬われたりすることが当たり前というのが社会のルールとしてあるような気がします。

逆に年少者は、経験も浅く、まだ年長者より未熟であることが多いので、ミスや失敗をしても許してあげ、適切な指導をしてあげなくてはならず、体力も自分より劣っている場合にはいたわってあげなければならない、という社会のルールもあるような気がします。

その年齢差が大きければ大きいほど、その関係はより顕著なものとなり、さらに会社社会になると上司、部下というさらに絶対的な関係も加わることになるので、それらを前提にした振る舞いがお互いの期待として求められる現実があります。

年長者というだけで年少者に対して、年齢差や役職などといった絶対的な関係を前提に乱暴な振る舞いをしてはならず、年少者に服従に近い態度を求めるなどというのはいまでいうパワハラということになります。

また、年少者だからといって必ずしも年長者に媚(こ)びへつらうような意見を言う必要はなく、「長幼の序」という場合には意見の内容というよりは言い方とか振る舞いへのマナー的な要素を求められることが多いので、「世渡り」という術(すべ)に長(た)けている人は年長者の立場を立てながらも上手に自分の主張を述べることができます。

歴史的な背景

この「長幼の序」という考え方というか道徳的なしきたりは、中国やその周辺の東アジア諸国で古くから伝搬されていた儒教の影響によるもので、国を治め、社会の秩序を望む為政者にとって、謀反者や反逆者を生まないようにする都合のいい思想からと思われますが、儒教における人が守るべき五つの徳目の一つとして、父子の親、君臣の義、夫婦の別、朋友 (ほうゆう) の信とともに、長幼の序があげられています。

と、ここまで述べてきた「長幼の序」も最近では影が薄れてきました。

平等の意識

昨今のSNSの浸透による人間関係の変化で、伝える内容の言葉も簡略化が求められるので、前置きの部分はなくなり、尊敬や気遣いの言い回しも省かれ、簡略化されて要件だけを伝える文面が主流となり、加えて、メールなどで、上司に直接進言ができる状況でもあり、場合によっては自分の考えを一斉に告知できるなど、伝統的な意見の伝え方やステップは姿を消してしまい、その前提になっていた年齢や役職などといった立場の違いも特段に意識されなくなり、組織がフラット化されるとともにそれらはそれぞれの人格のアイデンティティとして、それほど大きな意味を持たなくなりました。

そして、SNSなどでの交流では、人とのかかわりという意識が薄くなり、これまでの社会の前提条件を感じてまで付き合うのではなく、男女の性差同様に平等の意識が強くなって、対等の関係が求められています。

また、スポーツや将棋などでも若い人たちや若年層の人たちの活躍が目立ち、年長者だから優れているという状況もあたりまえではなくなり、パワハラなどの指摘を恐れて年長者も年少者の範となる振る舞いができていなくて、まるで同年代同士の接し方のような傾向がみられます。

社会秩序の維持

そのような状況のなかで、伝統的な「長幼の序」という道徳的なしきたりを前提とせずに、社会的な秩序を維持するために人間関係で必要な条件はどのようなものがあげられるでしょうか。

お互いに期待し合い、求め会うのは、平等の意識など人物評価の新しい時代感覚の価値観を持っていること、豊富で専門的な知識や経験に基づく論理的な意見形成ができること、的確なリーダシップが発揮できること、魅力的な人間性があること、一緒にいて楽しい、などのキャラクターの持ち主でしょう。

これらはこれまでも人間関係では大事な要素でしたが、年齢差や役職を重んじる意識や風潮の次になっていたため、個性や才能などとして意識されていたものからいまや広く求められるようになり、それらに欠けると周囲に溶け込みにくい状況にもなっている傾向です。

理屈ではわかっているものの、その境地に達するにはそれこそ年齢を重ねるだけではむずかしいので、大人の品位として年長者には敬語を使い、年少者には思いやりを持って接する、という最低限のマナーは守るとしても、仕事以外のお付き合いでは気心の知れたいろいろな世代の人たちと、和気あいあいと穏やかに過ごしたいものです。

羽澤 幸成

学生時代の県人会幹事長として、のちに大活躍される国会、県会、市会の議員の方や役所の方、趣味の音楽活動を通じて芸能の世界で生きている方など多くの人たちに接し、社会人になってから海外進出など多くのプロジェクトを軌道に乗せ、その分野の専門の方たちとも知り合い、いくつかの新しいことにもチャレンジして、早期退職後の企業信用調査の仕事では、それまでの大きな会社の人たちとは違う中小企業や個人事業の方たちとお会いし、いまは地域コミュニティ活動を通じて地域の方たちと交流活動をしています。
それらのキャリアを通じて、たくさんの経験をし、外国の方も含め多くの人たちに出会い、楽しいことばかりでなく、いやな思いもたびたびして、いろいろなことを学びました。
それぞれの世界で、多くの人たちが作る人間模様のなかで、うまくいっている人やそうでない人もいて、能力以外に考え方が違うのだ、と感じました。
人それぞれ考え方が違うので、当然に生き方も異なり、一緒に仕事や生活をしながら、なぜ、そうするのかを考えることの繰り返しで対応しながらも、自分の信念は曲げずに生きてきたので、心を痛めて悩んでいる人に、こうは考えられないかな、と頭を使って苦境を打開するキッカケになってくれればと思っています。

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