第99話 心が豊か

考え方が変われば生き方も変わります
悩むことで心を傷つけるより、頭を使って考え、違う生き方を試してみませんか

「豊か」とは

「あの人は心が豊かだね」とか、「どんな時でも心が豊かですね」とか言いますね。

「心が豊か」とは心がどういう状態なのでしょうか。豊かな心を持っている人とはどういう人なのでしょうか。

「豊か」がつく言葉に、「自然が豊か」「社会が豊か」「生活が豊か」「才能が豊か」「表情が豊か」「心が豊か」などがあります。

「豊か」とは、特定のものが十分に、たくさんあるということでしょうか。

「豊かさ」、「豊かな」

さらに「豊かさ」というと、「豊か」とはニュアンスが違う気がします。

「豊かさ」とは、「豊か」な状態が安定的に続くことが予測できる、ということになるでしょうか。特定のものが経済的にも物質的にも、あるいは能力的にも技術的にも必要なものが十分に、豊富にあって、その状態が安定していて、将来に向けて持続していけるということでしょうね。

また、「豊かな」というと次に着く言葉は変わってきて、「豊かな暮らし」「豊かな人生」「豊かな農作物」「豊かな国」「豊かな胸」などとも言い、状態を表す「豊か」「豊かさ」と、名詞を形容する「豊かな」とではニュアンスが変わってきますね。

「豊か」というと望むものが何でもある状態を想像し、「豊かさ」というと「豊か」な状態が安定的であることを想像し、「豊かな」というと特定のものが一般的を上回る状態であることが想像できます。

「豊か」の反対語として頭に浮かぶのは「欠乏」がありますね。では、「豊かさ」の反対語としては「乏しい」、「豊かさ」の反対語としては「貧困」や「貧弱」になるのでしょうか。

心が豊かな人

言葉の意味から「心が豊かな人」というのは、感情をじょうずにコントロールするために必要なものを十分に持っていて、その状態が安定的に、将来も続き、いつも穏やかで、優しい気持ちを持っている(ように見える)人ということになりますね。

そのような人にはあこがれるし、自分もそうでありたいと望んでいます。

感情をコントロールする要素には何があるでしょうか。

「心が豊か」の反対語は、「心が貧しい」と言いますね。「心が乏しい」と言わないことから、「心が豊か」ということは物質的にも、経済的にも満たされている状態が必要条件なのではないのかなと、そのうえで、精神的な安定が生まれるような気がします。

心のセンサーが敏感で、身の回りのさまざまなことがらに気を配り、気がつき、それらを許し、認め、受け入れて、穏やかに反応し、適切に対応できる人。

人の話しや行いだけでなく、花が咲いたり 季節がめぐったりなど、時間の移り変わりなどにも心配りがあり、それらに対して的確な表現で対応できるなど、心が豊かな人は優しい気持ちを持っていることから優しい気持ちは心が豊かであることの大切な要素だと思います。

優しさは、人との付き合いでは、相手を理解し、気持ちを分かち合い、共有できる度量にもなります。

そのためには、本人自身が健康で幸せな状態でいることも必要なことでしょう。

「第42話ウェルビーイング」で書きましたが、「幸福」というのは、肉体的に、精神的に障害がなく、社会的に、完全に満たされた状態で前向きに生きていこうとすると感じるものだ、と理解されているとのことです。

「心が豊かな人」は、自分自身が「幸福」な状態で、才能や感受性が豊かで、それをじょうずに表現できる技術を持ち、周りのことに気が付き、周りの人たちに心配りができ、それらを理解して受け入れ、相手の立場に立って考え、適切な対応をとることができ、いつも穏やかに感情をコントロールしていて、振る舞いもいつも冷静で落ち着いているなど そんな才能や状況に恵まれ、それらが心という器にいっぱい詰まっていて、それでもまだ心という器は大きくて余裕があるように見える人ということでしょう。

私自身はもちろんそのような人物ではありませんし、周りを見渡しても、これまでお会いしてきた方々のなかにもそのような理想的な方はいらっしゃいませんでしたが、多くの方がその人なりの穏やかに日々を送り、他人(ひと)にもやさしく親切なお付き合いをされています。

まわりの評価ではなく本人の気持ち

「心が豊か」かどうかは、他人が人物評価として判断しているだけであって、本人としては、本人自身の心が穏やかに満ち足りていれば自然とそのような振る舞いができ、本人自身が納得して日々を送り、それに満足している状態なのかも知れませんね。

「あの人は心が豊かな人だ」と周りの人がその人を評価したり、形容したりしますが、「私は心が豊かです」と本人が言うのをあまり聞いたことがないことから本人にその自覚はなくて、日々を穏やかに、前向きに過ごし、他人(ひと)に優しく、親切に接している振る舞いから周りの人がそのような印象を受けるのだと思います。

それは「幸せ」も同じで、周りから「あの人は幸せだ」と言われるのは、その人が幸せそうに見えるからで、本人がそう思っているのならその通りだし、そう思っていないのならまわりの人の見る目がないということになります。

「心が豊か」や「幸せ」については明確な定義や資格要件みたいなものはなく、本人が前向きに、気持ちよく、周りの人と良好な関係で日々を過ごすことができていればいいわけで、そのうえでの日頃の会話や振る舞いからの印象で、周りの人たちは「あの人は心が豊かだ」とか「あの人は幸せだ」という評価をしたり、そのような印象を受けたということなのでしょう。

また、「幸せ」というのは、いつも、毎日がそのような状態でなくても、たとえ一日でも、さらにはほんの一瞬でも「幸せ」を感じることはあるわけで、それがあるからこれからも頑張ることができるのでしょう。

いつも「幸せ」を感じることができない、というのは望みが高いとか、考え方が悲観的過ぎるとかの思い違いが原因で、性格とか根深い問題ですね。

本人が「心豊か」な気持ちで、「幸せ」を感じて日々を過ごせていることが大切で、周りの人にそう思って欲しいなどとは考えてはいないことから、それを評価するのはご自由に、ということでしょう。

逆に、周りの人にそう思って欲しいと願う人や場面があるかどうかは分かりませんが、他人(ひと)にそのような印象を与えられるというのは難しいし、その努力をすることはあまり意味がないことですね。

「心の豊かさ」は追い求めるものではなく、本人の心の持ちよう、考え方が大切で、それは本人にしか作ることができないし、本人にしか分からないのですが、まずは「心が豊か」で「幸せ」な気持ちでいられる状況を整えることが肝心なのでしょう。

毎日、毎日が同じ状況ということはあまりなくて、今が恵まれているならばその状況ができるだけ長く続くように努力をすればいいし、仮に今が恵まれていない状況であるならば望む方向に変えていく努力をしなければいけません。

いずれにしても、自分が望んでいる方向に向かって努力し続けている自分を大切にして、好きになることですね。

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