第26話 忘れることは難しい

考え方が変われば生き方も変わります
悩むことで心を傷つけるより、頭を使って考え、違う生き方を試してみませんか

「忘れる」ではなく「思い出せない」

「私は忘れっぽい」とか「あの人は記憶力がいい」という言い方をしますね。

「忘れっぽくて、すぐに忘れてしまう」という人は、何かを「思い出せない」状態が多いということで、思い出すことが苦手ということですね。

「記憶力がいい」という人は、過去のことを聞かれてもすぐに答えられる状態が多いということで、思い出すことが上手ということですね。

でも、「忘れっぽい」という人が、その場では思い出せなくても、何かのキッカケで忘れていたと思っていたことを突然思い出すことってありますよね。

ということは、実は忘れていたのではなくて、その場では思い出せなかっただけなんですね。

「思い出す」ということは、以前に「記憶した」ことを呼び起こすことですから、もともと記憶していないことは思い出しようがありません。

どうしても思い出せない事柄は、そもそも記憶していない可能性があります。

例えば芸能人などで、顔は見たことがあるけれど名前が思い出せない、という場合は、突然のことで準備ができていなかった、とか加齢などで脳の働きが固くなっている、とか年齢を重ねたのでたくさんの思い出や記憶があってそのなかから探しずらかった、などの理由がありますが、それでもほかの人から教えられると、それそれ、と理解できるということは、忘れてはいなくて、思い出せなかっただけ、ということになります。

教えていただいてもなお、そうだっけ、となるのは、そもそもその人にあまり関心がなくて、記憶していなかったのかも知れません。

整理して記憶する

記憶力のいい人は思い出すことがうまい人で、これは想像ですが、順序だてて覚える、とか中心となることにヒモづけて覚える、とか声に出したり色や漢字に関連づける、とか記憶する時に思い出しやすいタグのようなものをつける、とか何かコツがあるのでしょうね。

なかなか思い出せない人は、記憶の整理の仕方があまり上手ではなく、記憶する時に思い出す時の手掛かりを付けておいていないのでしょう。

文章や言葉であれば、見たり読んだり聞いたりはしていても記憶はしていない、ということなので、記憶をするためには、その内容を理解し、状況などに仕立てるなど、場合によっては色やにおい、味などで言葉以外の何かを感じている必要があるのでしょう。

より記憶を確かにするためには、記憶した事柄をいつか使ったり、実感するであろう自分が想像できれば効果があるでしょうね。

学校での難しい数学の算式や、科学・化学、歴史についての勉強は、理解しにくく、当時でもあまり興味がなかった、という理由もありますが、学んだそれらを活用している自分が想像できないので、テストのための暗記にとどまり、その場限りの勉強になってしまい、実際にも実生活で使うこともないので思い出すという機会もなく、卒業と同時にほとんどを忘れてしまっていますが、先生の話しなどでおもしろいと思ったところが部分的に思い出されることがあります。

このように、いったん記憶すると、忘れることは難しいのです。

逆に、思い出したくない、という事柄もありますね。

記憶になったいやな思い出などを思い出さないようにする、とか思い出しにくくする、というのは、覚えて記憶したり、忘れていたことを思い出したりすることよりも難しいかも知れません。

トラウマやストレスといった強くて複雑な感情を伴う場合は、なおのこと忘れることは難しいです。

過ぎてしまったいやなことは取り返しがつかないし、その事実は変えようがないので、あきらめて忘れるしかなく、「これも経験だ、次はうまくやろう」と前向きに対策を立てるなどして自分の成長につなげることですね。

おそらく人間は、自分の心の状態を守るために、イヤなことはなるべく思い出さないように、記憶のできるだけ奥の方にしまおうとするのではないでしょうか。

時間が経って、楽しいことがたくさんできて、それらの思い出や記憶が重なっていき、イヤなことはその下に埋もれていって、思い出しにくくしているのではないでしょうか。

いやな記憶は、思い出しにくいように記憶の奥の方に追いやって、出てこなくなるように楽しい思い出などをたくさん積み上げることですね。

新鮮な記憶

運動やスポーツで身体を動かすと、手足を動かすのに脳はあちこちの体の部分をコントロールするのに忙しくなり、いま必要がないいやなことは記憶の奥の方に追いやるので、運動やスポーツをし終えると一時的に頭の中がスッキリするのでしょう。

スポーツだけでなく、釣りや裁縫、ゲームなど何かに夢中になって、集中していると、脳はそのことに占有されて、いま必要がないほかのことは後回しになって、いやなことも考えなくなるので、ストレス解消効果があるのでしょう。

時間があってボーっとしていると、脳もヒマなので気にしているイヤなことでも考えようとするので、いやなことの記憶がますます膨らんでしまうことになります。

いやなことをいつまでも気にしていることもつらいので、思い出さないようにできたらいいし、また、楽しかった思い出も、たまに思い出すからいいのであって、それにこだわっているのも、それはそれで少し寂しいものもありますね。

毎日のようにできる新鮮な思い出が記憶になって積み重なり、そのことで日々の生活が充実したものになっていけるように、その時その時を一生懸命に過ごしたいものです。

羽澤 幸成

学生時代の県人会幹事長として、のちに大活躍される国会、県会、市会の議員の方や役所の方、趣味の音楽活動を通じて芸能の世界で生きている方など多くの人たちに接し、社会人になってから海外進出など多くのプロジェクトを軌道に乗せ、その分野の専門の方たちとも知り合い、いくつかの新しいことにもチャレンジして、早期退職後の企業信用調査の仕事では、それまでの大きな会社の人たちとは違う中小企業や個人事業の方たちとお会いし、いまは地域コミュニティ活動を通じて地域の方たちと交流活動をしています。
それらのキャリアを通じて、たくさんの経験をし、外国の方も含め多くの人たちに出会い、楽しいことばかりでなく、いやな思いもたびたびして、いろいろなことを学びました。
それぞれの世界で、多くの人たちが作る人間模様のなかで、うまくいっている人やそうでない人もいて、能力以外に考え方が違うのだ、と感じました。
人それぞれ考え方が違うので、当然に生き方も異なり、一緒に仕事や生活をしながら、なぜ、そうするのかを考えることの繰り返しで対応しながらも、自分の信念は曲げずに生きてきたので、心を痛めて悩んでいる人に、こうは考えられないかな、と頭を使って苦境を打開するキッカケになってくれればと思っています。

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