選択肢は「やる」か「やらない」か
毎日の生活のなかでは、喜んだり、考えさせられたり、さまざまな感情が生まれ、そしていろいろなことをしたり、しなかったりしながら過ごします。
そんななか、考えてみれば人生の中で、選択肢というといろいろあるような気がしますが、多くの場合、選択肢は明確に2つだけしかないのでは、と思います。
その時々で、「やる」と決心するか、「やらない」と決心するかだけで、あとは「何を」が残されているだけではないでしょうか。
ほかの人に指図されたり、自分の意志ではなく、そうせざるを得なかった状況であったとしても、「やる」か「やらないか」を決めるのは自分自身です。
最終的には、「やる」「やらない」の決心になりますが、そこに至るまでの判断のプロセスが大切です。
決心したことの結果に対して後悔をしないためには、判断のプロセスに納得できている必要があります
選択の結果
したい・したくない、するべき・するべきでない、できる・できない、などのさまざまな状況のほか、他人からの評価も考慮した上で自分が「納得」して決めたことならば、当然出た結果についても責任を負い、受け入れるしかありません。
他人の意見は聞いて参考にしますが、その情報に惑わされて判断を誤ったとしても、結果は自己責任となり、それを見極められなかった自分の能力の無さを反省すべきであって、他人や世間を恨んだり、「れば・たら」をいくら考えても仕方がありません。
反省をふまえて、次に納得のできる結果が出るようにするだけです。
結果について、「よかった」と思うか、「しまった」と思うかも含めて毎日、毎日がその決心の連続です。
ポイントは、「やる」と決めたら全力で、一生懸命やるということ。
「やらない」と決めたらどんな結果が出ても、受け入れて後悔をしないことです。
「やる」と決心した場合には、望む結果を得ることができるように方法や手順を組み立て、必要な時間、協力者、資金などを準備し、行動し、結果についての覚悟が必要です。
「やらない」と決心した場合にも、その事柄に関心を寄せ、状況の推移に注意を払いながら、次の場面のために、決心が正しかったことを確認する必要があります。
見る、聞く、知る、行く、食べるなどの行動についても、その都度YESかNOかの決断をします。
一つ一つの事柄には大きいこともあれば、小さいこともありますが、それらに対して決心することに変わりはありません。
やれば経験ができる
「やる」と決心すれば望む結果を得ることができたり、予想外の結果でダメージを受けたりすることはありますが、やったことの経験や知識は残ります。
「やらない」と決心した場合には、想定したダメージは回避できたり、もしかしたら得られたかもしれないメリットは享受できなかった、ということもありますが、いい悪いは別にして、経験や体験もできなかった、ということになります。
また、結果に納得ができず、逆の決断の方がよかったと思い、変更できる状況であればただちに方針を変更します。
期待していない状況をいつまでも続けていくことはメリットがないからです。
その際、他人の風評は一切気にしません。
階段を一つあがり、右か左の扉を開ける。
そしてまた、階段を一つあがり、右か左の扉を開ける。
そんな判断・決断を繰り返して毎日を積み上げていきます。
一つ一つの判断・決断をいい加減にしたり、気の進まないままや納得できないままに行ってしまい、それでも望む結果が出ればいいのですが、そうでない場合は後悔したり、取り返しがつかない事態になってしまい、結果を受け入れるのが難しくなることもあります。
なって欲しくない状況にならないように、慎重にYESかNOかの決断をします。
一つ一つの判断・決断がいつも正しい、望む結果を得ることができる、などということはあり得ないことですが、決心して行動した結果は変えることができないので、正しい決心だったと結果を受け入れて、適応し、決心した方向に進みながら、望む状況へ軌道修正をしていく、ということでしょう。
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