第57話 「個性」って

考え方が変われば生き方も変わります
悩むことで心を傷つけるより、頭を使って考え、違う生き方を試してみませんか

人物評価の手がかり

人物評価で、「個性豊か」とか「個性的」とか「個性が強い」とか「個性がない」などと言いますね。

「個性豊か」は、才能がある、とかいろいろなことができる、とか比較的好意的な表現のような気がします。

「個性的」は、ほかの人とは違っていて、存在が目立つ場合の表現で、比較的客観的な見方のような気がします。

「個性が強い」は、知り合いのなかでは異色の存在で、自分としては少し受け入れにくい場合の表現として使われるような気がします。

「個性がない」は、知り合いのなかで存在が目立つことがなく、性格なども理解しにくくて、その人を一言では表現するのが難しいことから付き合い方にやや距離を置くような場合に使われるのかな、とは思いますがそれが「個性」だと言われればそういうことでしょう。

ある人の特徴を表現する場合に、容姿や体型、振る舞い、話し方、人との応対、性格、仕事の進め方、生活信条、生活スタイル、特技、知識、趣味、ファッションなどについて、ほかの人とは特に違っている点をとらえて言い表しますが、それらのいずれかに目で見えたり、感じたりするものが「個性」なのかというと、少し違う気がします。

「個性」の意味

では、「個性」ってどういう意味で使われているのでしょうか。

意味としては、「その人らしさ」「キャラクター」「パーソナリティ」「アイデンティティ」のような使われ方をしますが、自分を含め、その人のどんな点を指して「個性」と表現しているのでしょうか。

自分の意識としてや他人(ひと)から受ける印象が、自分の知っている、思い描いている一般的な他人(ひと)とは、見た目や受ける感じ方で少し違っている何かが、自分やその人の人格形成に大きな影響を与えている要素となっているものを「個性」と言うのではないかと考えます。

問題は、その要素、「個性」は長所となるものばかりではなく、弱点となるものもあるので、本人が気に入っているかどうかです。

他人(ひと)とは違う何かを、自分自身でも気に入っていて、自覚していて、自分で強みや自己アピールのポイントとして、それを他人(ひと)との接し方やその人自身の生き方に取り入れているのならばいいのですが、逆に相手から受ける印象としてはあまりいいイメージではない、などの理由から、自分自身では気に入っていなくて、それを打ち消すような生き方をしている人も見かけますよね。

「個性」というのは、生まれつき持っているものと、あとからさまざまな経験を通じて身に付いたものがあるでしょう。

「個性」ってほかの人と違う特別なものを持っているとか、ほかの人とは違って際立っているとか、極端である必要はなく、「個性」と目立つこと、奇抜さとは違うのですから、ほとんどの点でほぼみんなと同じであって、なかでも少しだけ特徴的な何かがあると、それを本人が意識して生きているポイントが「個性」になるでしょう。

「個性」って他人(ひと)が評価するものとはいえ、自分自身が意識して、自分らしさとして大切にしているものなので、また特別に主張するものではないでしょう。

その「個性」が、他人(ひと)から好かれたり、苦手にされたりするのは、自分も同じ立場であれば他人(ひと)に同じような評価をしてしまいますので、自分を理解し、他人(ひと)と比べて自分の強みや弱みを知って、その上で自分を愛することが大切で、他人(ひと)に好かれるために無理に直す必要もないし、また直すことは難しいしでしょうから、そのまま出していけばいいのではないでしょうか。

「個性」は世の中のいろどり

世の中には、花と同じように、いろいろな色や匂いを持っている人がいて、それが世の中の彩(いろどり)になっているので、どんな色でも匂いでも、咲いていることが大切なのでしょう。

しおれていたり、枯れていては世の中の彩(いろどり)にはなれませんから、自分で自分に、水や栄養、光を与えて頑張って咲き続けることです。

ほかの花とほとんど、同じような色で、同じような匂いでまったくかまわないわけで、むしろ際立つと、存在し続けることが難しい場合もありますね。

「個性」は「生き方」

「個性」は文字どおり「個」、つまり個人が存在し、その個人の「人となり」を言うことなので、まずは自分が自分としてこの世の中に存在することが大前提ですね。

「個性」は、自分にとっては「自分らしさ」の表現ですが、他人(ひと)からは私を認識する手がかりだったリ、私への評価の象徴ととらえられるので、私の「個性」がほかの人と違っている点の場合もあるし、評価する人が持っていない、その人との違いとなる場合もあるので、私の「個性」は他人(ひと)によって違うことになります。

世の中にはまったく同じ人間はいないわけですから 生きていれば自然に「個性」が出ることになり、自分にとっての自分の「個性」は「自分らしく生きること」、それを私の「個性」として他人(ひと)が、その人の尺度でどう評価するのかは相手の問題で、相手の都合に依るところが多いのでコントロールすることができないのだから、気にしても仕方がないことですね。

特技や知識は披露するものですが、「個性」は「これが私の個性です」とアピールするものではなくて、自分の納得性と他人(ひと)からの評価ですから、自分の受け止め方の問題となるので、この世の中に存在し続ける以上、ついて回る問題です。

その問題への取り組む姿勢こそが「個性」となるでしょう。

羽澤 幸成

学生時代の県人会幹事長として、のちに大活躍される国会、県会、市会の議員の方や役所の方、趣味の音楽活動を通じて芸能の世界で生きている方など多くの人たちに接し、社会人になってから海外進出など多くのプロジェクトを軌道に乗せ、その分野の専門の方たちとも知り合い、いくつかの新しいことにもチャレンジして、早期退職後の企業信用調査の仕事では、それまでの大きな会社の人たちとは違う中小企業や個人事業の方たちとお会いし、いまは地域コミュニティ活動を通じて地域の方たちと交流活動をしています。
それらのキャリアを通じて、たくさんの経験をし、外国の方も含め多くの人たちに出会い、楽しいことばかりでなく、いやな思いもたびたびして、いろいろなことを学びました。
それぞれの世界で、多くの人たちが作る人間模様のなかで、うまくいっている人やそうでない人もいて、能力以外に考え方が違うのだ、と感じました。
人それぞれ考え方が違うので、当然に生き方も異なり、一緒に仕事や生活をしながら、なぜ、そうするのかを考えることの繰り返しで対応しながらも、自分の信念は曲げずに生きてきたので、心を痛めて悩んでいる人に、こうは考えられないかな、と頭を使って苦境を打開するキッカケになってくれればと思っています。

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