第67話 叱る

考え方が変われば生き方も変わります
悩むことで心を傷つけるより、頭を使って考え、違う生き方を試してみませんか

「叱る」って

家庭内で親が子どもを「叱る」ことがあります。しつけが目的で、子どもがよくないことや危ないことをした時に二度と同じことをしないように、強い口調で、子どもにとっては威圧的にもとれる態度で「叱り」ます。

「叱る」でよく聞かれるのが「だめじゃない、ちゃんとしなさい」ですが、子どもは「なぜだめなのか」や「ちゃんとする」とはどういうことなのかを理解できていないことが多いのではないでしょうか。

時には気持ちがエスカレートし、感情的になって「怒る」こともあるでしょう。

「叱る」は英語でscoldやyellなどといい、「怒る」はget angryといいますが、ここでお分かりのようにscoldやyellは動詞なので行為ですが、日本では「怒る」をangryと思っていますがangryは状態を表しますのでgetなどの動詞をつけて、そういう状態になった、と表現されます。

「何をやっている」と感情的に言うのは「叱る」ではなくて「怒る」です。

「叱る」は相手に対する行為なので意志を伴いますが、「怒る」は何かが原因でそういう状態になったという自分の気持ちの問題で、行為ではないということになります。

会社のなかでも、上司が部下を「叱る」場合があります。指導が目的で、部下が方針やルールと違ったことをしている場合に、過ちを指摘するために「叱る」のです。

やり方が間違えている場合に「叱り」ますが、やっていることが上司の思っているやり方と違ったり、そのままでは上司やチームに迷惑がかかると思われる場合にも「叱り」ます。

日本と外国での叱り方

会社の中でも「叱る」場合によく聞かれるのが、家庭内と同じの「だめじゃないか、ちゃんとしなさい」ですが、ここでも部下が「なぜだめなのか」や「ちゃんとする」とはどういうことなのかを理解できていないことが多いのではないでしょうか。

「叱る」ことはきっかけで、子どもや部下に「なぜ」や「どうすれば」の説明が続けばいいと思うのですが、多くの場合は「叱って」終わりで、「なぜ」や「どうすれば」は自分で考えなさい、ということになっているのではないでしょうか。

私は海外で勤務した経験がありますが、会社のなかで上司が部下を「叱る」シーンを見たことがありませんし、街のなかでも、日本のように親が子供を(感情的に)「叱って」いるのを見たことがありません。

外国の方が日本人に比べて性格が穏やか、ということではなくて、部下や子どもがよくないことをした場合には、「なぜ」や「どうすれば」を管理責任者的にアドバイスをする習慣だからではないかと感じました。

社内でも部下はそれを求めてきました。現地の方どうしでは、スタッフからマネージャーに対して「あなたは私のマネージャーなのだから、私を成長させる責任がある」という会話をよく聞きました。

スタッフは、ミスをした時はそれを謝るのではなく、まるで自分が成長する機会だ、と思っているようでした。

人事考課でも必ず本人に評価のフィードバックをする必要があり、評価の内容だけでなく、将来のキャリアアッププランまでも説明を求められました。

海外で、日本から担当役員が出張で来て、現地スタッフを入れて会議をした時に、スケジュールが予定より遅れていたり、課題に突き当たったりしていると担当役員から「どうなっているのだ」と、よく叱られました。

海外での初めての大型新規事業なので、これまで誰もやったことがなく、前例のないことをやっているのですから、いろいろな障害が発生することは仕方がないことだと思うのですが、その事情を知ってか知らずか、会議のたびに「どうなっているのだ」と叱られました。

会議のあと必ず現地スタッフから質問を受けるのは、「あの役員は何をしにここへ来たのか。そんなに心配ならここにいて一緒にやればいいのに」でした。

当時、スタッフの手前もあったのですが、言って欲しかったのは、「毎日ご苦労さま、大変だと思うけれど頑張ってくれ。ところで、スケジュールが遅れ気味のようだし、なにか予想していなかった課題が出たようだけれど、どうなっているのかの現状の説明と、その影響と対策について聞かせてくれ」という言葉でした。

担当役員なので、何かあったら自分の責任になってしまうから何とかしたい、という気持ちから心配や焦りがあったのでしょうが、まず自分の立場が気がかりだから、では現地スタッフの気持ちからは離れていきますね。

日本に帰ってきて、会議に出席したら冒頭は役員から懐かしい「どうなっているのだ」から始まりました。

なぜ「叱る」のか

なぜ日本では上司が部下を、親が子どもを「叱る」のでしょう。

日本でも海外でも、それぞれが指導したい気持ちは同じだと思うのですが、意識している立場の違いではないかと思います。

日本では、上司から部下、親から子どもという関係性が「上から下」という意識が働いていたり、距離感が近いような気がしますが、海外では上司と部下、親と子どもという感覚の関係性で、お互いに一定の距離感があり、対等の立場のようで「一緒になって」とか、義務として「しなければならない」という意識が働いているように感じました。

そのため、海外では「叱る」必要がなく、相手が納得するまで「なぜ」や「どうすれば」を説明しなければならない、というのが習わしなのかも知れません。

海外でももちろん、よくないことをしているのが部下ではなく他人だったリ、自分の子どもではなくよその子どもの場合には「怒って」いるのを見かけましたから、「叱ったり」「怒ったり」するということは、他人として攻撃する、ということになり、家族や仲間にすることでなないのでしょうか。

海外にいた時やその後に感じたのは、「日本人って叱りの文化だな」です。その前提になっているのは、「このくらい言っても相手は怒らないだろう」とか「このくらい言ってこちらの立場が上だということ示そう」というお互いの関係性の近さや甘えなのでしょう。お互いが信頼し合っているから成り立っているのかも知れませんが、「叱る」側に、いわゆる大人としての振る舞いというよりは幼児性を感じる場合もあります。

日本人は、「叱られて」から考えて成長し、「叱る」ことが役目や仕事だと思っている人が多い、ということですね。「叱る」ことができる立場の人は「指導」しなければならない立場の人だと思うのですが、「叱る」以外の方法を考えれば、より本来の効果が生まれることでしょう。

羽澤 幸成

学生時代の県人会幹事長として、のちに大活躍される国会、県会、市会の議員の方や役所の方、趣味の音楽活動を通じて芸能の世界で生きている方など多くの人たちに接し、社会人になってから海外進出など多くのプロジェクトを軌道に乗せ、その分野の専門の方たちとも知り合い、いくつかの新しいことにもチャレンジして、早期退職後の企業信用調査の仕事では、それまでの大きな会社の人たちとは違う中小企業や個人事業の方たちとお会いし、いまは地域コミュニティ活動を通じて地域の方たちと交流活動をしています。
それらのキャリアを通じて、たくさんの経験をし、外国の方も含め多くの人たちに出会い、楽しいことばかりでなく、いやな思いもたびたびして、いろいろなことを学びました。
それぞれの世界で、多くの人たちが作る人間模様のなかで、うまくいっている人やそうでない人もいて、能力以外に考え方が違うのだ、と感じました。
人それぞれ考え方が違うので、当然に生き方も異なり、一緒に仕事や生活をしながら、なぜ、そうするのかを考えることの繰り返しで対応しながらも、自分の信念は曲げずに生きてきたので、心を痛めて悩んでいる人に、こうは考えられないかな、と頭を使って苦境を打開するキッカケになってくれればと思っています。

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人間模様

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