第70話 食文化と和食

考え方が変われば生き方も変わります
悩むことで心を傷つけるより、頭を使って考え、違う生き方を試してみませんか

地域による「食」の違い

日本でよく食べられる料理を国別や地域別に分類すると、世界文化遺産にもなった「和食」、専門の街まである「中華料理」、お隣の「韓国料理」、インドやベトナムなどの「アジア料理」、フランスやイタリアなどの「洋食」、そして「その他の料理」となるでしょう。

それらは、単に「味が違う」とか「食材がちがう」とか「調理法が違う」などという料理そのものだけを比較した違いだけでなく、その背景にあるものが違うので、それぞれの生活のなかで、なくてはならない、楽しみの一つとしての「食事」の位置の違いから生じているものなのでしょう。

食文化

もちろん多くの場合、食材は地域によって手に入れることができるもので調理されるので、寒い地域や暖かい地域、雨が多いとか少ないという天候の違い、海の近くや遠い地域などの条件を避けることは難しいです。

そして、それらの条件を前提にして、それぞれの地域に住む人たちの体調を整えて、地域の気温や天候などの特性に順応できるように、食べやすいための味や必要な栄養を摂取するためなどが歴史や伝統、習慣となって、独特な料理が形成されてきました。

寒い地域では身体が温まるものとして比較的温かくて、栄養価の高いものが好まれる傾向にあり、気温が高い地域では発汗作用を促すために香辛料の効いた料理が多く、肥沃な土地に恵まれた地域では小麦や米、野菜など料理のバリエーションも豊富で、逆に穀物などが育ちにくい地域では狩猟による動物からの栄養摂取に頼る、などの傾向がみられます。

それらの条件のなかで、長い歴史を経て培われてきた伝統がベースにあると思いますが、さらには食事に対する固有の風習やマナー、宗教などの要素も加わってそれぞれの「食文化」が形成されています。

「世界の交差点」シンガポールで

私は、「世界の交差点」と言われているシンガポールで5年間を過ごし、現地の料理はもちろん、いろいろな国や民族、文化、宗教の違う方たちの食事を、同じように、日常的にしてきたので、たくさんの種類の料理を、その地域の方たちの好みで味付け、調理されたカタチで食べてきました。

あの熱帯のシンガポールでも、気温や宗教も異なるさまざまな国や地域から多くの方が集まり、それぞれの故郷の味を懐かしんで、シンガポールの方たちのためではなく自分たちが経験してきた本来の味を求めているようで、それこそたくさんの本場の味を楽しむことができました。

料理の背景にある文化や風習、宗教などを感じることはあまりありませんでしたが、タイ料理、インド料理、インドネシア料理、フランス料理、イタリア料理、ロシア料理などの奥深い味までは経験することができました。

日本食と和食

振り返ってみれば、私たちに一番馴染みがあり、平成25年12月に、「日本人の伝統的な食文化」としてユネスコの世界無形文化遺産に登録されて世界に認められた「和食」でさえも、その歴史や伝統、文化的な意義は、と尋ねられても答えに窮してしまいますね。

しかしそれでも、「和食」の味については伝統的な範囲では理解し、国内のほかの地域の料理や同じ和食のなかでも地方による違いなどは比べることはできるし、マナーや盛り付け、食彩、食器についても、好みのレベルではありますが、感想を言うことができるのは、日本人としての自覚やこれまでの経験からの知識もあって風俗を理解し、それらを受けての「和食」は生活の一部になっているからでしょう。

ただ、日々あふれる情報などから日本人の食に対する好みやこだわりは変化し、朝食、昼食、夕食の基本は和食を取り入れてはいるものの、米飯を中心にした純粋な和食だけを摂っているという人はあまり多くないのではないでしょうか。

朝食のパンをはじめ、ラーメンやパスタ、ハンバーガーなどは、いまや日本人の食事としてはすっかりなじんでいますので、それらでさえも日本人の好みに合わせられて、それなりに変化してきているので、和食との境界線を引くことにあまり意味を持たなくなってきていて、それらを含めた日常的に食するものが日本人の一般的な食事ということになるのでしょうね。

外食などの頻度も高まり、家でする食事も家庭での手料理だけでなく、冷凍食品やデリカテッセンなども種類が豊富になり、加えて出前による料理の取り寄せも手軽にできるようになって、いつでも食べたいものを容易に口にすることができるようになりました。

多くの日本人が日常的にする食事を「日本食」とするならば、「和食」というのはもう少し狭い意味に定義されるかも知れませんね。

農林水産省では「和食」の特徴を「多様で新鮮な食材とその持ち味の尊重」、「健康的な食生活を支える栄養バランス」、「自然の美しさや季節の移ろいの表現」、「正月などの年中行事との密接な関わり」としています。

つまり、多くの日本人の日常的な食事のすべてが「和食」ということではなく、伝統的な「和食」が持つ風習などの伝統的な意義にスポットライトを当て、その伝統を守っていこうということなのでしょう。

「和食」が無形文化遺産に登録が決定した理由も、なんだか「守らなければ消えてしまう」という印象もあり、素直に喜べない気がします。

ただ、フランス料理もそうですが、これだけの情報社会、技術の進歩、激化する価格競争の中でいろいろなものが多様に変化し、「カタチ」の裏側にある本質的な文化がそこなわれつつあるのも現実かも知れません。

「和食」の特徴である味や季節感などを表現した見た目だけでなく、素材を生産現場から大切にし、食卓まで鮮度を保ちながら流通させる仕組み、それぞれの作り手や関係者が食べる人の笑顔を想像しながら責任を果たしていただき、最終消費者がそれらに感謝をしながらし食事を通じて団らんをする。これがお互いを思いやる「和食」の文化ですね。単に空腹や食欲を満たすだけではないのです。

無形文化遺産は英語でIntangible Cultural Heritageといいますが、このHeritageを「遺産」と訳すから本来の意味が伝わりにくくなっていて、確かに「過去のもの」という意味合いもありますが「過去から続く伝承されるべきもの」という意味の方が分かりやすいですね。

日本文化

「日本文化」全体では、行儀・作法の裏側にある奥ゆかしさ、節度、わきまえ、おもてなしなどの精神面が想起されますね。

自然や振る舞い、芸能、食事などについて、五感で感じる美しさや、おいしさのほかに心で感じる心地よさを当然ではなく、そう感じさせていただいたことに「おかげさまで」と「ありがたい(そうそうあることではない)」という感謝の気持ちを持ち、さらにこの気持ちをほかの人や次の世代の人たちにも感じてほしいので規律やルールではなく、ましてや宗教などにも依らず、それらから逸脱することを「恥」として慎み、さらに自分だけでなく社会全体で守り、伝えていこうとするのがまさに「日本の文化」ですね。

日本文化が醸成されたのは200年以上も続いた鎖国により外国文化の影響が少なかったことが大きく、その間に紆余曲折はあったものの、結果的には日本人にしっくりと馴染みやすい文化としてカタチ作られたのでしょう。

「和」といえば、聖徳太子が制定したとされる憲法17条の「和を以って尊しと為す」以来、日本人の心に宿り、他人を思いやり、お互いを助け合うことで穏やかに、なごみ、親しむという精神文化で、現象として調和、平和、融和などをもたらすものが優れているとされていきましたし、確かにそれらを感じると心地がいいです。

性差、人種、世代など絶対的な違いを取り込んで「和」を保つことは必要の有無も含めて大変難しいことで、相対的な違いである宗教や貧富、社会的な肩書、能力差などでもよほど規律を厳しくしないとお互いの、社会における融和は難しいですね。

「和」というのは単なる仲良しではなく、違いを前提とする融和の自律による精神文化なので、自分さえよければとこの精神から外れてしまう振る舞いなどは「罪」などではなく、「恥」という日本人にとって最大の屈辱となる評価を受けること(だけ)になりますから、恥を感じない人たち、罪を罰で償えばいいと思っている人たち、バレなければ何をしてもいいと思っている人たちに「和」を理解することは難しいですね。

まだ諸外国に関する情報に影響されることがなかった時代には伝統的な「和食」からはずれた食事をすることはなかったのでしょうが、文明開化以降、今日まで生活全般、さらには考え方まで情報の影響を大きく受けてきたため、食事を通じた「日本文化」だけでなく、生活スタイルや生き方まで「日本文化」が、いい、悪いの評価ではなく単純に、変容してきました。

文化というものはこだわって守り抜く部分もあるとは思いますが、状況や時代の変化とともに、それらを受け入れて変容していくことも文化となるということなのでしょうね。

自分の生き方も他人(ひと)との付き合い方も、他人(ひと)の変化はもちろん自分も変化していくわけですから、当然に状況も変わり、それを受け入れて、知恵を働かせて対応していかないと、料理の「うまい」「まずい」の評価だけにとどまるのと同じように、表面的な経験、知識しか得られず、人生を楽しめないかも知れませんね。

羽澤 幸成

学生時代の県人会幹事長として、のちに大活躍される国会、県会、市会の議員の方や役所の方、趣味の音楽活動を通じて芸能の世界で生きている方など多くの人たちに接し、社会人になってから海外進出など多くのプロジェクトを軌道に乗せ、その分野の専門の方たちとも知り合い、いくつかの新しいことにもチャレンジして、早期退職後の企業信用調査の仕事では、それまでの大きな会社の人たちとは違う中小企業や個人事業の方たちとお会いし、いまは地域コミュニティ活動を通じて地域の方たちと交流活動をしています。
それらのキャリアを通じて、たくさんの経験をし、外国の方も含め多くの人たちに出会い、楽しいことばかりでなく、いやな思いもたびたびして、いろいろなことを学びました。
それぞれの世界で、多くの人たちが作る人間模様のなかで、うまくいっている人やそうでない人もいて、能力以外に考え方が違うのだ、と感じました。
人それぞれ考え方が違うので、当然に生き方も異なり、一緒に仕事や生活をしながら、なぜ、そうするのかを考えることの繰り返しで対応しながらも、自分の信念は曲げずに生きてきたので、心を痛めて悩んでいる人に、こうは考えられないかな、と頭を使って苦境を打開するキッカケになってくれればと思っています。

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