第114話 才能と努力

考え方が変われば生き方も変わります
悩むことで心を傷つけるより、頭を使って考え、違う生き方を試してみませんか

才能

才能と努力、どちらも人並み以上にできる能力を対象とすれば、才能は生まれながらにして先天的にある程度備わっているというイメージで、努力は後天的に頑張って身につけるというイメージです。

生まれながらにして持っている身体能力や能力とは異なりますが、容姿を含め他人(ひと)より優位な状況にある身体的特徴もアドバンテージ(競争上の強み)になることがありますね。

他人(ひと)より優れた特別な才能を持っている人はうらやましいですが、才能といってもさまざまな才能があります。

いろいろな分野ごとに他人(ひと)より優れて何かをできる才能、それに気がつく才能、それを伸ばし続けられる才能、そしてそれを活用できる才能などです。

それぞれが別の才能なので、すべての才能がかみ合わないと世の中のために役立てることはできませんが、人によっては自分ではその能力が高くなくても、他人(ひと)のその能力に気がつき、それを活用するという能力もあります。

また、他人(ひと)が持っている能力を伸ばしたり、持続させることができるという能力がある人もいます。

せっかく特別な才能を持っているのにそれに自分で気がついていない人や、才能を伸ばし続けることをしないで中途半端なままで終わってしまう人や、才能を世の中や他人(ひと)のために活用できないといった人もいます。

自分ではそれができることが当たり前で、特別な才能とは思っていなくても、他人(ひと)に指摘されて気がつくということもあります。

努力

獲得したい能力や目指す状況へたどり着くのに必要な能力を身につけるため時間や労力などのエネルギーを使い、がんばって自己成長に励んだ結果、自分で満足できる状況になることができれば努力をした甲斐がありますね。

努力は、目指す状況へたどり着くために必要な技術の習得・上達を目指して繰り返しの練習や、上達に適したコーチの指導を受けるなどが必要ですが、必要な技術を向上されるための学習も不可欠で、さらにはその技術そのものの向上だけでなく、ヒトとしての経験や成長も技術向上の支援となります。

その努力も、その分野で才能があれば比較的短期間で目指す状況にたどり着くことができますが、あまりその分野に向いていないと目指す状況になるのに時間がかかるということもあり、さらに時間を費やしてもその状況にたどり着くことができないということもあります。

例えば、足が早いという能力はどちらかというと生まれつきで備わっている才能のように思われ、どんなに頑張っても足の遅い人が早くなるのには限度があるような気がしますが、一方で筋力のように後天的に鍛えて伸ばすことができる能力もあります。

最近では、それらの努力を支援してくれる環境にもなってきていて、何かを作る、書く、描くなどのほか、効率的な上達の方法などを考えてくれるというだけでなく、考えるということそのものの分野にまでAIやコンピュータの力を借りてある程度補うことができますが、それに気がつき、活用するというのも才能や能力かも知れせんね。

成長するにしたがって身体的特徴や身体能力も変化していく部分もありますね。

成長には身体的な面のほかに、知識をつけたり経験を積んだりしていくという成長もあり、こちらも才能や能力を伸ばすのには欠かせませんね。

才能と能力

最初に言いましたが、才能というといわゆる“天賦の才”として生まれながらにして備わっている、ということだとすれば、努力の過程で才能があることに気がつく、ということもありますが、繰り返しの訓練や学習のように他人(ひと)に教わったりするなどの努力によって身につけられるもののほとんどは能力ということになるのかも知れませんし、ある程度の才能がないと高い能力を身につけることも難しいでしょう。

しかし、才能がある、能力があるという評価を得るということはその分野で他人(ひと)より優れた技術を発揮できるということで、それは生まれながらの才能によるものや、努力し続けられるという努力の結果のよるかのいずれかでしょう。

スポーツの分野では、優れた技能を持つ人が適切なトレーニングをし続けて一流選手になり、さらには超一流選手として世界で活躍するレベルになることがある一方で、せっかくの才能を伸ばす努力を怠ったのか、適切ではない方法のトレーニングによるからなのか、そこまでの才能しかなかったためなのか、一流とまでいわれないままで終わる人も見かけます。

発揮する才能、能力の分野

私が才能といって頭に浮かぶ領域・種類と分野は、次のとおりです。

音楽的才能(絶対音感、リズム感、作曲)、芸術的才能(絵を描く、造形を作る)、文学的才能(文章を書く)、味覚的才能(絶対味覚)、論理的才能(科学・化学、コンピュータ、教育)、身体的才能(スポーツ)など。

能力といって頭に浮かぶ領域・種類と分野は、次のとおりです。

身体的能力(視力、聴力、音感、味覚、臭覚、声量、足が早い、スポーツがうまい)、知的能力(記憶力、集中力、論理的思考力、計算力)、芸術的才能(表現力、演技力)、音楽的能力(作曲、楽器の演奏、指揮)、技術的能力(建築、料理)、社会的能力(リーダーシップ、コミュニケーション能力)など。

才能や能力といってもこれだけの方面や領域・種類があるのですから、これらを発揮できる分野は多岐多様にわたり、とくに科学・化学や芸術、ビジネスなどの分野ではこれから時代の変化とともにさらに増えていくことでしょう。

世の中に役立つような才能や能力を持ち合わせてない私は、そんな才能や能力のある人たちがこれからの新しい世界を作り上げていき、世の中をより便利にしてくれたり、楽しませてくれたりするなどの活躍を期待しています。

他人(ひと)に驚かれるほどまでに優れた才能・能力がなくても、自分でまずまず満足できるレベルまでの技能があれば、そのことを中心に生活を楽しむことができますね。

絵を描く、書道、楽器を演奏、スポーツ、料理、手芸、日曜大工、囲碁・将棋・麻雀・ゲーム、カラオケ、コンピュータなど、自分では得意だと思っているので趣味にしている人も多いと思いますが、とくに複数人で楽しむ楽器の演奏やスポーツなどは、機会があって同好の士を集めることができれば、長い期間楽しい人生を送ることができますね。

同好の士が集まれば一つの世界になり、自分らしさを発揮することができたり、居心地のいい良好なコミュニケーションを作ることができます。

また、子どもたちや関心のある人たちに対して教室を開くなどして地域活動に貢献することもできます。

私は学生時代からバンドでドラムを叩いてきたものの技術的にもプロにはなりませんでしたが、社会人になってからも仲間を集めて長い間ライブなどのバンド活動を続けたり、和太鼓も叩けるので町内会の盆踊りで役に立ったり、子どものころから親しんできた麻雀は、町内会でボランティアで30人くらいの麻雀教室を10年以上開催していて皆さんに喜ばれています。

若い時の経験、何に役立つか分かないものですね。

なんでも一生懸命にやってきたから身につき、他人(ひと)より少しじょうずなだけなのですけれど、それでもお役に立てることがあるのですね。

そして世の中は、才能があったり、努力してきた人たちが得意なものや技を持ち寄って彩られているのかも知れませんね。

羽澤 幸成

学生時代の県人会幹事長として、のちに大活躍される国会、県会、市会の議員の方や役所の方、趣味の音楽活動を通じて芸能の世界で生きている方など多くの人たちに接し、社会人になってから海外進出など多くのプロジェクトを軌道に乗せ、その分野の専門の方たちとも知り合い、いくつかの新しいことにもチャレンジして、早期退職後の企業信用調査の仕事では、それまでの大きな会社の人たちとは違う中小企業や個人事業の方たちとお会いし、いまは地域コミュニティ活動を通じて地域の方たちと交流活動をしています。
それらのキャリアを通じて、たくさんの経験をし、外国の方も含め多くの人たちに出会い、楽しいことばかりでなく、いやな思いもたびたびして、いろいろなことを学びました。
それぞれの世界で、多くの人たちが作る人間模様のなかで、うまくいっている人やそうでない人もいて、能力以外に考え方が違うのだ、と感じました。
人それぞれ考え方が違うので、当然に生き方も異なり、一緒に仕事や生活をしながら、なぜ、そうするのかを考えることの繰り返しで対応しながらも、自分の信念は曲げずに生きてきたので、心を痛めて悩んでいる人に、こうは考えられないかな、と頭を使って苦境を打開するキッカケになってくれればと思っています。

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