第11話 「大好き」の反対は

考え方が変われば生き方も変わります
悩むことで心を傷つけるより、頭を使って考え、違う生き方を試してみませんか

「大好き」の反対は「大嫌い」ではない

「大好き」の反対はなんでしょう。

「大嫌い」でしょうか。

マザー・テレサの言葉です。

『愛の反対は憎しみではない 無関心だ。無関心であること、苦しむ者に関わりを持たずに傍観者であることが愛の対極にあると。』

この言葉の意味に沿えば、「大好き」の反対は「大嫌い」ではなく「無関心」ということになります。

関心がない、ということは感情すら持たないということで、「大嫌い」は感情を持っているだけマシということでしょうか。

「大好きな人」に会うと心がときめいたり、「大好きなもの」と一緒に時間を過ごすと楽しいと感じますが、それらに関心がなくなると心も動かなくなるということですね。

もちろん、そうなるとそのために行動を起こさなくなるでしょうから、かかわりもなくなっていくのでしょうね。

「大嫌いな人」に会うとイヤな感情が起きますから、まだかかわりがあるということですね。

関心がなくなると

ある倒産した会社の社長さんの話しを聞きました。

「社内の会議で、それまで“ウチの”会社は、と言って意見が出ていたのに、ある時から“この”会社は、と言うようになっていた。

あの時に手を打っていれば、社員が会社に関心を持たなくなり、愛着を感じなくなっていった時に何らかの手を打っていれば倒産は避けられたかもしれない」という内容でした。

お店などでも、改善して欲しい事柄を意見として言ってくるお客様は、次も来るから、とか、ほかのお客様も同じ印象を持つと思うので嫌われる前に、など愛着や関心があるのでしょう。

イヤになって、関心を持たなくなったお客様は黙ってお店を出ていき、二度と来ることはないでしょう。

関心がない人に何かの行動を求めるのは難しいです。

また、関心のない人にいい仕事ができるわけがないので、頼むだけ無駄です。

最近こんな話を聞きます。

パートナーから昔は「ウチのひと」と言われていたのに、いつの頃からか「このひと」とか「あのひと」とか言われるようになってきた、と。

サラリーマン家庭の定年退職後に多いケースらしいです。

何かがあったのでしょうね。

「大切な人」からは、関心を持ち続けて欲しいものですね。

そのためには、常日頃からの努力や工夫が必要なことは当たり前ですね。

羽澤 幸成

学生時代の県人会幹事長として、のちに大活躍される国会、県会、市会の議員の方や役所の方、趣味の音楽活動を通じて芸能の世界で生きている方など多くの人たちに接し、社会人になってから海外進出など多くのプロジェクトを軌道に乗せ、その分野の専門の方たちとも知り合い、いくつかの新しいことにもチャレンジして、早期退職後の企業信用調査の仕事では、それまでの大きな会社の人たちとは違う中小企業や個人事業の方たちとお会いし、いまは地域コミュニティ活動を通じて地域の方たちと交流活動をしています。
それらのキャリアを通じて、たくさんの経験をし、外国の方も含め多くの人たちに出会い、楽しいことばかりでなく、いやな思いもたびたびして、いろいろなことを学びました。
それぞれの世界で、多くの人たちが作る人間模様のなかで、うまくいっている人やそうでない人もいて、能力以外に考え方が違うのだ、と感じました。
人それぞれ考え方が違うので、当然に生き方も異なり、一緒に仕事や生活をしながら、なぜ、そうするのかを考えることの繰り返しで対応しながらも、自分の信念は曲げずに生きてきたので、心を痛めて悩んでいる人に、こうは考えられないかな、と頭を使って苦境を打開するキッカケになってくれればと思っています。

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