
知識や知恵があれば
人生を豊かにしたり、幅を広げてくれるもののなかに知識と知恵があります。
知識や知恵があればあるほど、世の中の仕組みやできごとをより幅広く、深く知ることができ、自分を取り巻く状況を理解することで何をすべきかが分かり、さらにそのやり方についても工夫をしたり、効率的な方法を考えることもできます。
知識や知恵は、自分の人生や生き方にとって必要なもので、それらは実際に使ったり役立てたりすることで身につけた効果を発揮します。
知識があれば、危険なものに触れたり、食べたりすることなく安全に生きていくことができるし、いろいろな物事の仕組みが分かり、楽しく、興味深く生きていくことができます。
知恵があれば、さまざまに工夫をすることによって時間や労力、お金までも無駄や余計な手間をかけることなく、効率よく使うことができ、快適に、円滑に生きていくことができます。
知識と知恵の意味
私たちがふだんの生活のなかで、会話で使ったり、理解しているそんな「知識」と「知恵」とは具体的にどのようなもので、どのように身につけられるか、どのように活用するかなどは、あまりに身近で、日常的なのであらためて考えたことはないですね。
言葉の意味として広辞苑によると、「知識」とはある事柄について知っていること、物事の正邪などを判別する心のはたらき、知られている内容、認識によって得られた成果ということで、わかりやすく言うと知識は情報を知っていることを指すそうです。
同じように、「知恵」とは物事の理を悟り、是非善悪を弁別する心の作用、物事を思慮し、計画し、処理する力、人格と結びついている実践的知識ということで、わかりやすく言うと知恵は知識を活用する能力を指すそうです。
知識を習得するには
そのような「知識」や「知恵」はどのようにすると身につけられるかです。
まず「知識」は受験や資格取得、さらには仕事や研究などで必要があって勉強することで習得することが多いですが、日常のなかでも言葉の意味や仕組みについて疑問に思った時などは何かで調べたり、理解したりしてそれらが知識となりますがまずは、文章などの意味を理解するための日本語だけでない語学力、そして書かれている内容の理解力、最後にはそれらを忘れないようにし、いつでも引き出せる記憶力が必要です
また、知識吸収のエネルギーとなるものは、自分を成長させたいという向上心や好奇心を満たしたいという知識欲などなので、自己管理を行うことで課題解決に対する強い意志も必要になります。
ひと昔前は、「知識」を習得するためには書籍や辞書などの書物を入手して読み込んで理解し、記憶する必要があり、連鎖的に思考を展開したり、さらに内容を掘り下げるなど専門的で、関連するより幅広い知識を習得するためにはそのこと自体は今でも必要なことです。
そのための勉強の方法は、高校や大学、専門学校などに通うか通信教育などを受講するか、書物などを購入して独学で勉強などがありますが、いずれにしても時間もお金も手間もかかりました。
いまではインタータネットやAIを活用すればほとんどお金をかけることなく、検索など簡単な方法で知識を習得することができます。
ということは、興味と関心さえあれば必要な情報を手軽に、簡単に習得できるので、それらを正しく記憶することができれば、知識にできるということになります。
会話のなかで詳しい知識などが披露されると、それらが自分のなかの知識から出たものか、スマホなどで素早く検索した結果なのかを区別することは難しく、さらに文章にしたものになると、どちらなのかは全く分かりません。
また、せっかく取得してもその知識を活用せずに眠らせたままにしておくと、その知識を広げることができないばかりか、やがて忘れてしまい、その後に必要があっても思い出しにくいということがありますね。
その典型が英語の知識ですね。学生時代には英語の成績が良くても、社会人になって英語に接する仕事を担当しなかったり、英会話の機会がないと英語が上達しないだけでなく、やがて忘れてしまいます。
知恵を体得するには
「知恵」を体得するきっかけは、比較的特定的で、技術を伴う分野の場合が多く、そのことの技術を直接的に向上させる方法というよりは、体得の方法の効率的なやり方や体得の方法の手順などのような周辺的な工夫を考えたことが多いのではないでしょうか。
知恵が働く分野の多くは、仕事の段取りなどのほか、料理などの日常生活の家事やDIY、音楽などの趣味で発揮されることから、実体験がベースの場合が多く、いったん身につけると同じような状況でも活用でき、なかなか忘れるということが少ないのではないでしょうか。
どんな知識があるか
知識がある、といってもどんな分野の知識で、その幅や深さによってレベルはさまざまです。
知識の分野が科学や化学、宇宙、世界中の歴史、医学、哲学などの専門的や学術的である場合には、正しい知識があるかどうかの評価は専門家のあいだでないと分かりませんが、一般的に知識がある、知識人という評価を受ける人は、世間一般のことがらや仕組みを幅広く、まんべんなく、偏向的でなく知っていて、必要に応じてそれらを引き出せる人ではないでしょうか。
専門的な知識といっても、英語が話せるとか、音楽やスポーツ、あるいはコンピュータに詳しいというレベルでも一定の評価を受けることができますが、ただ知識があるだけではほかの人には分からないので、それに関する話しをした時に披露されて初めて詳しい知識がある、ということになり、自分に興味や関心がある分野について詳しい知識がある人は尊敬してしまいますね。
どんな知恵が働くか
知恵の代表が仕事や家事などでの工夫でしょう。
知識を駆使するというほどでもなく、的確な知恵のベースとして一定の知識は必要になりますが、知恵を発揮するきっかけとなるのは状況の判断でしょう。
何かのやり方に困っている、苦労をしている、やりにくい、効率が悪いなどの状況が起こった時に、必要な道具や時間、費用、支援などの改善のための条件を思い浮かべることができ、その入手の可否が判断できるかということに思いが及ぶことも、改善のやり方や手段のアイデアが浮かんだりすることに付随して大切なことです。
一定の知識をベースとして状況を判断し、条件などを考慮したやり方や手段のアイデアで現状の改善の工夫をし、その結果を受けて、さらに工夫をするということの連続で仕事や家事がより効率的で快適になっていきます。
知識や知恵に頼らない
知識や知恵の反対語は、無知や無学という言葉になりますが、世間で広く知られている知識や知恵に頼らない、依存しない生き方をしていくためには独創的な考え方やユニークなアイデアや発想、独自の技術などが必要になります。
音楽や文学、絵画など芸術の分野で新しい分野の、新しい作品を創り上げるということがありますが、それでも基本にはそれぞれの分野のルールなどもあるので、それらを知らずに、それらに沿わずにカタチになったものは評価が分かれることになります。
また、法律や公序良俗に触れるような振る舞いは、知らなかったでは済まない事態が起こってしまいます。
自分の持っている知識や自分が生み出した知恵とほかの人の知識や知恵がうまくかみ合うと、相乗効果となって全く違うカタチのものが創られたり、“三人寄れば文殊の知恵”のように多くの人たちの知識や知恵が集まると、お互いが触発されて発想が広がり、さらに規模の大きなカタチのもの、スキのないものを創り上げることも可能になるというか、そのためにはそれが必要です。
ところがいまや、考えるや知るという努力をAIに頼ることによって簡略化する傾向が強くなり、継続性や関連性が必要不可欠な知識の習得や知恵の体得の機会が薄れていって、ますますAIへの依存度が高まるという悪循環を生んでいるのではと懸念されます。
この世の中で、周りの人たちと摩擦を起こさずに生きていくには、世間並みの常識は必要不可欠で、その上に独善的ではない独自の知識や知恵を積み上げ、多くの人たちと協調していきながら自分らしい振る舞いができたらいいですね。
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